科学と精神世界

量子力学の観測問題をわかりやすく解説します

2019年10月21日

 

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量子の謎を解き明かすことは”宇宙”を明確に定義するレベルの大難問

 

量子力学が扱う物質の世界は、それまでの物理学では到底説明のつかない奇妙な世界です。

 

物理の授業で物質の最小単位は『原子』であると教えられました。

 

私たち人間も原子からできています。

 

『量子力学』はその原子をさらに分解して

 

原子>原子核>陽子>素粒子

 

と、原子のさらに奥側や物質の根源を科学的に解明しようとする分野です。

 

『素粒子』は『それ以上に細かく分解できない物質』です。

 

『素粒子』は個々に機能を有しており、その組み合わせによって原子の種類を決定し、ひいてはあらゆる物質の基礎部分と言えます。

 

ここからは少し話がややこしくなりますが、

 

『素粒子』は物質ではない、波動性を持った状態で『エネルギー』として存在していて、外部からの観測のエネルギーを受けた瞬間に一点に収縮した『粒子』となって出現します。

 

これを波動関数の収縮(=デコヒーレンス)、または観測者効果と呼びます。

 

 

もう少しわかりやすく表現すると、

 

『量子レベルの物質』においては観測されたものだけが物質化しており、観測されない限り『そこにあるかもしれないし、ないのかもしれない』という『可能性の重ね合わせ』として存在しているということです。

 

以上は『コペンハーゲン解釈』と呼ばれる量子論の主要な理論的解釈の大まかな説明ですが、『観測』についての解釈こそが量子論のキモとなるため、コペンハーゲン解釈以外にも様々な理論的解釈が存在します。

 

人間の「意識」によって「波動関数の収縮」が引き起こされるとした、フォン・ノイマンとユージン・ウィグナーが提唱したノイマン=ウィグナー解釈

 

いわゆる『念力』で電子の運動を制御したディーン・ラディンによる電子のダブルスリット実験から導かれた、人間の意志こそが素粒子のあり方を制御するとしたテレパシー論

 

量子効果によって、選択されなかった「可能性」も存在し続けるとしたヒュー・エヴァレットによる多世界解釈

 

観測以前の粒子が「波」であるとした状態は、実は『パイロット波』という粒子とは異なる存在が粒子の運動のガイドとしての役割を果たしている状態であると説明し、コペンハーゲン解釈における『可能性の重ね合わせ』という、何となく居心地の悪い感じを払拭したデヴィッド・ボームによるパイロット解釈

 

などです。

 

コペンハーゲン解釈も含め、それらの解釈は全て『自然界の法則』を導こうとする論理的な仮説でしかなく、そもそもどれが絶対的に正しいという話でもありません。

 

つまりは『観測』がもたらす量子の振る舞いが、実際に私たち人間が五感を使って認知できる『巨視的事象』に対してどのように影響するのかは、科学的に明確化されてはいないということです。

 

『量子の科学』すなわち『量子力学』は、科学の進化そのものであると同時に人間の洞察の限界をも示す、

 

いうなれば、宇宙を明確に定義するレベルの難問であるといえます。

 

我々人間が量子の振る舞いを解明する際の『ボトルネック』になっているもの。

 

それが『観測問題』と呼ばれるものです。

 

量子力学がどうしても越えられない『観測問題』ってなに?

 

量子論で言うところの『観測』という言葉はデコヒーレンス(=波動関数の収縮)を引き起こすトリガーを指すため、厳密には意味が異なるものですが

 

単純に『観測』とは、光に頼る視覚や機器による計測など、対象に何らかのエネルギーを与えて返された反応そのものを認識する行為であると考えてください。

 

つまり、人間の意識によらず、『観測』という行為によって物質に加えられるエネルギーがその位置を含めた状態や特性を確定させます。

 

例えば、『ものを見る』という行為は対象物に当てた光の反応を視覚的に認識するということですが、このような一々回りくどくなっているプロセスを簡単に理解するには、超音波で海底の地形や敵艦の形や位置、速度などを探る『潜水艦のソナー』をイメージするとわかりやすいかと思います。

 

 

潜水艦は巨視的すぎる物体なので超音波の反応からその大きさや移動速度、位置を特定することが可能ですが、観測の対象が量子レベルの物質となると話は変わります。

 

例えば電子の位置、運動量を観測する場合、電子という素粒子に光子という素粒子のエネルギー状態である『光の波』をぶつけてその反応を認識するということになりますが、

 

量子レベルの小さな物質は『光を当てる』という行為だけでも十分にそのエネルギーの影響を受けて運動の速度が変わってしまいます。

 


それじゃあってことで光を弱めることで電子の運動量を測定出来る反面、光の波長が長くなった分、今度は正確な位置がわからなくなってしまいます。

 


つまり量子の世界は常にゆらぎに支配されていて、私たち人間が『量子はここにあってこの速さで動いている』ということすら決めることができません。

 

これを『ハイゼンベルグの不確定性原理』といいます。

 

ところが実際は『ゆらぎ』は量子そのものにもあって、このゆらぎを観測によるものと分けることで不確定性原理の測定の限界を超えることができます。

近年、数学者の小澤正直・名古屋大学教授の『ハイゼンベルグの不確定性原理』を破る測定は可能であるとした不等式がウィーン工科大学の長谷川祐司准教授のグループによる実験で実証されました。

破ったとは言っても『量子の波動状態』を否定したのでなく、ハイゼンベルグの式を補完して不確定性原理の精度を上げ、むしろ量子力学の正しさを証明したという話です。

今後『小澤の不等式』はハイゼンベルグの式に取って代わり、量子力学における標準的基礎理論になるとみられています。

 

 

観測以前の状態(観測を中断した場合も含む)が確定しないのは、人間の認識上の問題として当然に起こります。

 

飼っている猫が自分の膝の上で寝ていることは簡単に認識できますが、隣の家に住んでいる人が今この瞬間、何をしているのかなど勿論知る由もありません。

 

人間が量子をただ単に『小さな物質』と捉えるには、観測以前の状態を明確に説明するだけの『観測』による証明がどうしても必要になるわけですが、

 

ハイゼンベルクは観測前の素粒子が可能性の重ね合わせである『波動関数』であること以前に、量子の正確な観測は事実上不可能であることを、この不確定性原理で説明しているという訳です。

 

不思議。でも納得してしまう『多世界解釈』

 

波動関数の収縮を猫の生死という巨視的事象に影響させる思考実験『シュレーディンガーの猫』(詳しくはこちらの記事、または下の動画をご覧ください)のパラドックスを説明しようとする論から、ヒュー・エヴェレットによる『多世界解釈』が生まれました。

 

 

『コペンハーゲン解釈』では観測による波動関数の収縮によって粒子が現れ同時にその他の可能性が消滅しますが、『多世界解釈』では観測による量子効果によって粒子化する以外にも無数の可能性が実現されぬまま並行して同時に存在していることになっています。

 

 

『シュレーディンガーの猫』において、観測以前の箱の中身は『生きている猫と、死んでいる猫の重ね合わせ状態』であると説明されたわけですが、

 

なんで波動関数の収縮の影響が単に蓋を閉めただけの箱の中身に限定されるのよ?

 

というヒューエヴァレットの疑問から、

 

  • 猫の死を観測した観測者
  • 猫の生を観測した観測者
  • 猫の生死を観測しない観測者

 

も重ね合わせとして存在しているはずだとする論に発展。

 

さらには実験室に事情を知らない誰かが入ってきて箱を開けてしまう可能性や、遠方にいて実験結果を電話で通知される教授が結果を知る瞬間までの重ね合わせはどうなるのか等、

 

量子デコヒーレンスは万物に隈なく作用するとした議論に発展しました。

 

ヒュー・エヴァレットの多世界解釈は、

 

この世の全てが可能性の重ね合わせ(=波動関数)によって支配されているという考え方です。

 

観測者が量子を観測した時点で何万、何億とある可能性からうち一つを選び取ったに過ぎず、『観測しない場合』ですら選択される可能性の一つであり、

 

観測されなかった宇宙は消滅したのでなく、同じ時間軸上に依然として存在しているということ。

 

あなたの存在も私の存在も、途方もない数の素粒子の『可能性の選択』が織りなした別々の結果に過ぎないということです。

 

このように多世界解釈は素粒子の振る舞いによって森羅万象が決定されているという、宇宙をも内包したある意味合理的な解釈なのですが、

 

波動方程式によって選ばれなかった世界を観測する手段が見つかってはおらず、実験による検証が出来ないという大きな弱点があります。

 

言いかえると、多世界解釈はコペンハーゲン解釈と比較して『科学的証拠に乏しい』というだけのことで実際に理論物理学の最先端で議論されており、これを間違っているとする反証も無いのですから、信じる、信じないは自由です。

 

多世界解釈は平行宇宙論などに発展するもので、これをヒントにしたアイデアを使った数多くのSF映画が作られてきました。

 

ここで一点、留意して頂きたいことがあります。

 

SFで言うところのパラレルワールドとは、分岐した可能性の間を行き来して別世界に存在する自分と意思疎通したり、過去の分岐点に遡って『選択し直す』ことによって歴史や現実そのものを全く違うものに変えてしまったりといった、量子力学の領域を大きく逸脱した話です。

 

ヒュー・エヴァレットの多世界解釈における『可能性』とは、無数に存在するものではなく、観測以前の量子の波動状態=確率波と呼ばれる範囲に初めから全てが存在しており、パラレルワールド論における『選択による可能性の分岐』のように鼠算式に増えていくというものではありません。

 

私たちにとっては些細な話でしかありませんが、物理学を真剣に追求する科学者達はそういった誤解に深く傷付き、多世界解釈の議論を不当に評価されることを迷惑千万としか思っていません。

 

シュレーディンガーの思考実験以降、量子力学の研究者たちの根底には

 

"人間は、量子の振る舞いに関するその考え方を正しいか、間違っているかと判断する手段を持ち合わせていない。そのような考え方をしたところで実際には何の矛盾も起きないからこそ採用する。"

 

という一貫した考え方があります。

 

多世界解釈は科学的な考察に成り立つからこそ、その議論も成立しているものであるということをぜひ知っておいてください。

 

 

まとめ

 

量子力学における『観測問題』について説明させていただきましたが、

 

一つ一つの事象について、かなり回りくどい見方をするのが量子力学の面白いところでもあるため、『簡単に』と言いつつもなかなかそのようにはなりません。

 

それでも数式を一切使わずとも、むしろ理解できなくても量子力学の面白さは伝えられるものと思って書いています。

 

今後も精進してまいります。

 

お読み下さいましてありがとうございます。

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