今回は1分程度で読めるとても短いお話です。( ̄ー ̄)
自分が設定した制約に縛られる生き方
『私には時間もお金もありません。安い給料で目一杯働いて生きていくのが精一杯です。』
と、口癖になってしまっている人がいます。
もしあなたがそうであるなら、『稼げない仕事を我慢して続けるしかない』理由を挙げてみてください。
『パソコンが苦手だから』『底学歴だから』『親が貧乏だったから』『子供がまだ小さいから』『もう若くはないから』
色々あると思います。
『パソコンが苦手』『底学歴』『親が貧乏だった』『子供がまだ小さい』『もう若くはない』
それでも好きなことを仕事にして短期間で成功している人たちがいます。
むしろ不労所得者となり、お金と時間を持て余してひたすら好きなことだけをしている人もいます。
あなたが挙げた『稼げない仕事を我慢してやるしかない理由』
それはひょっとして『自分が学ぶ必要がない理由』なのではないでしょうか。
言い換えるとそれは既に『自分の人生に大満足している』からなのではないでしょうか。
良くも悪くも考えたことしか現実化はしません。
思考が現実化するメカニズムを簡単に理解する
まずはこのたった数行のマザー・テレサの言葉をまるっと受け入れてみてください。
思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。
マザー・テレサ
『思考』→『言葉』→『行動』→『習慣』→『性格』→『運命』と、
人の思考がその運命を決定するとするマザー・テレサのこの有名な格言は、よくない思考がよくない結果を引き起こす『因果の法則』のプロセスを端的に言い表しているといえます。
ここでご理解頂きたいのは、単に、過去のあなたの思考が今のあなたの現実を創り上げているという事です。
法則が運命を決定付ける
より難しく考えたり、『そんなものありもしないただのオカルトだ』などと否定すること自体が悪いとも思いません。
それでも所詮人間ごときが頭で考えるより遥かに大きな力で支配されているからこそ、私たちは到底納得できない人生を送っているのではないでしょうか?
うさん臭かろうが宗教ぽくて気持ち悪かろうが
あなたの人生が『法則』にただ際限なく翻弄されているのであればそれは何の意味も成さないとは思いませんか?
単に法則を受け入れる『究極のナチュラリズム』こそが究極のスピリチュアリズムだと私は考えます。
私達の日々の学びと経験は『法則』を知ることであり、
自分の人生をよりよくするためには自然界や宇宙の法則を受け入れて、その圧倒的な力に逆らわずに生きることこそが重要だと思うのです。
お読みくださってありがとうございます。