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経世済民

情弱による情弱のための経済学

01/20/2019

 

2019年10月に税率10パーセントへの消費増税が行われます。

 

簡単に言いますと手取りの給料が増えてもいないのに、または賃金の上昇分を超えて物価が上がるという状況です。

 

よく言われている通り、国の借金は私たち国民の負債なのでしょうか?

 

私たちの生活が苦しくなるのは本当に仕方のないことでしょうか?

 

私はこの記事を日本の危機的経済状況の意識啓発や政策批判といった目的で書いているのではありません。

 

『政府やメディアの都合の良いように情報をコントロールされている』ということをただ知って頂きたいのです。

 

私たちの不安の原因は、ただ『知らない』と言うだけのことなのです。

 

情報を持たない者、読み解く力のない者は支配層に操られるしかありません。

 

情報弱者=経済的弱者ということです。

 

興味を持って『経済』をほんの少しだけでも学べば、一見混沌とした世の中がスッキリと見えてくるようになります。

 

不思議に思われるかもしれませんがこれが事実です。

 

今なにが起こっているのか、そして今後どうなっていくのか?

 

私自身が学びを深めながら、ほんの少しでも読んでくださっているあなたのお役に立てるよう書かせていただきたく思いますのでよろしくお願いします。

 

 

経済とは

 

「経済」と聞くと、専門用語も多く複雑でとても邪魔臭い物だと感じてしまいますね。

 

確かに複雑ではあるのですが、基本的には皆さんの「家計」と全く同じです。

 

一点だけ大きく違うのは、政府はなんの担保も対価も支払う事なく、「ゼロ」から「お金」を産み出すことができます。

 

これを通貨発行権といい、日本政府だけが日本円を発行する権限を持っています。

 

つまり日本政府は借金せずにお金自体を生み出せるということです。

 

それでは民間経済全体のお金の流れを理解するところからはじめましょう。

 

所得創出のプロセスを理解する

 

  1. 生産者(労働者)が創り出すモノやサービスに対して消費者が支出や投資としてお金を支払いますと、それが生産者の給料や報酬といった『所得』となります。
  2. 所得を得た生産者は消費者として、必要な別の生産者が創り出すモノやサービスを買います。
  3. そしてその所得を得た生産者も消費者となり、さらに別の生産者の所得となる支出をします。

これを『所得創出のプロセス』と呼びます。

 

所得創出のプロセスにおいて生産、需要(または支出)、所得の3つは例外なく一致します。

 

あなたが生産した10万円分のサービスをお客さんが10万円で買った場合、お客さんは10万円の支出をして10万円分の需要を満たすことになり、それがあなたの10万円の所得となります。

 

この『所得創出のプロセス』が際限なく繰り返される現象を『経済(実体経済)またはマクロ経済』と呼びます。

 

ここからの話で出てくる『経済』とは、特に断りがない限りにおいてこの所得創出のプロセスによる『実体経済、またはマクロ経済』を指しますので、まずはここをしっかりと押さえておいて下さい。

 

生産

 

『生産』とは、モノやサービスといった『付加価値(生産物)』を生み出す活動のことです。

誰かがモノやサービスを生産、つまり労働をしなければその労働への対価としての所得は生まれません。

生産しても、その生産物に誰かが支出をしないことにはこれも所得に結びつきません。

需要(または支出)

 

『需要』とは、モノやサービスが求められることです。

需要によってモノやサービスの価値(=価格)が決まります。

『支出』とは、モノやサービスを需要により決められた価格で買うことです。

買い手の需要と、買うことの出来る量を『需要量』と言います。

 

所得

 

『所得』はモノやサービスの生産(=労働)に対する対価として生産者が受け取るお金のことです。

 

消費のための支出は、主に所得からなされます。(例外としてクレジットやローンによる借入金)

 

『豊かになる』とは、古今東西、収入が増えて、可処分所得が増える事をいいます。

 

例えば年収3000万円は豊かと言えるか?ですが、負債を抱えての年間の支払いの合計が2900万円あれば可処分所得(生活のために自由に使えるお金)は100万円となり、到底豊かであるとは言えません。

 

経済成長の指標となるGDP

 

モノやサービスはお金に換算して合計します。

 

GDP(国内総生産)とは、国内で一年間に生産されたモノやサービスの価値を合計したものです。

 

GDPは国内の生産の合計ですが、所得創出のプロセスで述べた通り、支出面(支出または需要の合計)、所得面(所得の合計)から見た場合にもその値は例外なく等しくなります。

 

つまり

 

GDP(生産面)=GDP(支出面)=GDP(所得面)

 

となり、これを『GDP三面等価の原則』と言います。

 

ひとつが下がれば全て下がり、逆もまた然り。GDP三面等価の原則に例外はありません。

 

経済成長している、またはしていないという判断にGDPが用いられるのは、このようにGDPが所得の合計でもあるからなのです。

 

『国が経済成長している』とはGDPが拡大していることであり、即ち国民の所得が増えているということにもなりますが、

 

GDPが拡大していない=経済成長していない今の日本の経済状況においては、国民の所得が増えていないデフレ状態がずっと続いているということになります。

 

デフレとは

「豊作」や「豊漁」であった場合、農作物、海産物の価格は下がります。

 

逆に「凶作」「不漁」だと価格はあがりますね。

 

この需要と供給の関係を頭に置いて以下を読んでください。

 

本来の生産能力をフルに発揮した限界値を潜在GDP(=供給能力)といい、これを実際の供給量(=総需要)である名目GDPが下回っている「豊作・豊漁」と同様の状態がデフレです。

 

潜在GDP=就労可能人口がフル稼働して生産可能な量

名目GDP=実際に購入出来る限界=実際に生産、消費される量

 

名目GDP(=生産の総和=総需要)<潜在GDP(=供給能力)

 

つまりデフレとは、総需要の不足を意味します。

 

 

 

 

  • デフレギャップがある  =  需要<供給 → モノやサービスが余り、価格が下落する
  • インフレギャップがある =  需要>供給 → 供給が追いつかず、価格が上昇する

 

20年以上続く不況の実態

 

世界経済成長率ランキング

 

 

IMFによる2018年のドル建てGDP比で1996年から22年間の各国の経済成長率を比較すると、中国が15.0倍でトップ、2位インドの6.8倍に大差を付けています。

 

新興国が目覚ましい成長を見せるのはある程度当然のことですが、アメリカが2.5倍、イギリス2.0倍、カナダで2.7倍と、先進主要国でも2倍から3倍近くの経済成長を果たしています。

 

日本と同じく不況にあえぐドイツが1.7倍、フランス、イタリアで1.6倍となる中、我が国日本はなんと1.0倍で堂々の最下位!

 

つまり20年以上もの長い間、世界有数の経済大国であるはずの日本は全く経済成長をしていないぶっちぎりの落第国なのです。

 

 

デフレーションとデフレスパイラル

 

デフレ(デフレーション)とは、物やサービースの価格が下がっていく現象です。

 

これを単に『ものが安くなる』という一面だけで捉えてはいけません。

 

価格の下落は需要の低下によるものであり、その影響で生産者(物やサービスの提供者)の給与は下がります。

 

生産者とは、何らかの事業に従事する人、つまり働く人『すべて』です。

 

生産者の収入が下がれば生産者が消費者となって消費をするためのお金が少なくなるため、モノやサービスが売れなくなり、さらなる物価の下落を招きます。

 

このモノやサービスの価格が下がり続け、経済活動が萎縮していくサイクルをデフレスパイラルと呼びます。

 

 

 

景気対策の実態

 

デフレを長引かせる緊縮財政

 

日本がデフレなのは国民一人一人や大企業の努力が足りないからなのでなく、緊縮財政一辺倒になった政府が有効な対策を講じていないからなのです。

 

先ほどの各国の経済成長率の伸びを裏付けているのが政府支出。

 

2001年度と1としてドル建てでその推移を比較すると、ご覧の通り、GDPが拡大している国ほど政府支出を拡大していることがわかると思います。

 

同時に我が国は全く政府支出を増やしていないどころか、どの国より抑制していることが分かります。

 

 

長期化したデフレによって投資能力が低下している民間に代わり、総需要(名目GDP)の不足分を政府の支出によって解消することによって、本来の生産者供給能力(潜在GDP)とのバランスをとれば良いだけのことなのですが、財政均衡主義を盾に政府は投資をどんどん切り詰めています。

 

必要な対策とは、財政出動(政府の消費や公共事業などの投資によるデフレギャップの解消)と、民間の消費を激減させる消費増税の凍結、もしくは消費減税です。

 

2012年に『デフレ脱却』を掲げて安倍自民は勝利しましたが、ご存知の通りデフレ対策とした金融政策を日銀に丸投げして、自らは橋本、小泉政権同様の緊縮財政路線の政策を展開しました。

 

政府は2013年6月、プライマリーバランス黒字化目標を閣議決定しました。

(プライマリーバランスとは、国や自治体の財政収支のことをいいます。)

 

財政法4条を後ろ盾にし、政府の歳入と歳出を一致させる以上に歳入を多くすることで財政黒字化することを絶対的な目標としたのです。

(2010年のG20にて2020年度黒字化を国際公約)

 

その場合に社会保障が増大して支出が増え続ける分は一体どうするのか?というと、『他の予算を削って捻出するか、増税する』となるため、これがそのまま消費増税の大義名分になります。

 

2014年4月には消費増税を強行。

 

安倍内閣になって社会保障費は増えましたが、増税したのだから金額自体は増えて当然です。

 

問題はその比率であって、消費増税のたびに『増税分は全額社会保障費の財源にします』という話であったはずですが、なぜかほとんど使われていません。

 

それどころか少子高齢化で確実に需要が増す医療報酬と介護報酬の削減を行なっています。

 

(꒪ꇴ꒪ (꒪ꇴ꒪ (꒪ꇴ꒪;)

 

結果的には2014年4月の消費税増税により民間最終消費支出は1年間で8兆円マイナスとなり、さらに政府は増税の増収分のうち8割を2012年の三党合意に基づき国の借金返済に充ててしまいました。

 

さらに消費は落ち込み、当然経済は萎縮しました。

 

増税直前の駆け込み需要こそあったものの、2014年の消費増税は民間経済にリーマンショック以上のインパクトをもたらしたのです。

 

要は『デフレ脱却』を標榜した『アベノミクス』で掲げられた財政政策は殆ど発動されなかったということです。

 

診療報酬と介護報酬(=政府の消費)を削減し、公共投資を増資せず、内需を拡大するどころかデフレギャップを拡大する文字通りの緊縮政策を推し進め、株価操作で好景気を演出し、トリクルダウンという実績のない経済思想に基づいて経済団体に金をばら撒き、政権発足以来GDPマイナスで推移する経済状況を『いざなぎ越えの好景気』と言い、当の安倍首相はご満悦というのが実態です。

 

ここからはそのカラクリについてみていきましょう。

 

実は好景気です!?

 

報道で株価上昇や失業率低下を『アベノミクス効果』と称賛している記事を見かけますが、それは何も、景気対策が順調であるという話ではないということを知って納得して頂きたいと思います。

 

株価と国民の所得は無関係

 

株式市場に流れるお金は国民の所得からのお金とは限りません。

 

現在の日本の株式市場の主役は外国人です。

 

日経平均株価は日本円の為替レートで円安になれば日本株を買い、円高になれば売る外国人投資家の動向が決めているようなものなのです。

 

そしてこの株を買い支えているのが日銀です。

 

日銀が紙幣を刷りまくって国債を買い入れ、ETFで株価を一定以上の上昇に制御するという緩和措置により投資家が潤沢な公的資金の上で楽に稼ぐことができるため、GDP拡大にはほとんど連動しないアベノミクスが投資家に支持されているのです。

 

国債そのものはモノでもサービスでもない為、日銀が紙幣を発行して単にお金を増やせばインフレになる訳ではありません。このことは黒田日銀総裁就任以来この6年間行われてきた量的緩和(130兆円だったマネタリーベースがすでに500兆円を超えています)の結果が示す通りです。

 

マネタリーベース:日本銀行が発行した紙幣の量+貨幣流通量+日銀当座預金残高

 

失業率低下

 

少子高齢化による人口構造の変化で単純に生産年齢人口(15歳から64歳)が減っています。今後も毎年減り続ける事は確定です。

 

これは民主党政権期からも続いている現象で、生産年齢人口を大きく占めていた第一次ベビーブームの1947年〜1949年に生まれたいわゆる団塊世代が65歳の定年を迎えてしまったのが主な原因です。

 

少子高齢化の現象として総人口に対して生産年齢人口の割合が落ちていってるだけの話ですから、生産年齢人口の流出が顕著な地方ほど有効求人倍率1倍程度の完全雇用状態になります。

 

失業率が低い石川、福井、島根など主に日本海側の地域で1〜2パーセント。逆に失業率が高い東京、大阪、神奈川、福岡などの都市部で3パーセント前後です。

 

景気が良く人手不足(=需要に対して供給能力が低い)であるならば、本来は人口が集中する都心部の失業率の方が低くなり、生産性向上のための投資が行われ労働者の待遇は良くなり給料は上がるはずです。

 

デフレによって雇用条件が改善されないまま『人手不足』と言われている現在の失業率低下の中身は、『安い賃金で企業のために目一杯働く』、単なる『奴隷不足』を示しています。

 

『生産性向上』が建前の移民政策は、この奴隷不足解消の手段なのです。外国人労働者の待遇も、もちろん日本人労働者の労働条件も良くなる事はありません。

 

公共事業投資は民主政権期よりも増えている

 

2014年から公共事業当費初予算は横ばいです。

社会資本特別会計6千億円を公共事業費の通常予算にぶっこんで金額を嵩上げしているので、民主政権時と比較するにはそれを退けないと正確な値は見えません。

安倍政権が『増やした』というのは違います。

 

引用元:三橋貴明『新世紀のビッグブラザーへ』

 

元内閣官房参与の藤井聡先生によるこちらの記事もお読みください。

 

【藤井聡】安倍内閣は、「コンクリートから人へ」継続内閣である。

https://38news.jp/default/13030?fbclid=IwAR0PK_CrOrgJ9QbY-w3N33K8cKtKGOKIMiE6evE6NDZPciUTQBSV5FEBLDw

 

いざなぎ越え

 

『8四半期連続のプラス成長』『いざなぎ越えの好景気』

 

このような見出しの新聞報道を御覧になったことがあるかと思います。

 

斜め読みでも構いませんので、まずは実際にこちらの記事をお読みください。

 

2018.12.13:日経新聞:景気回復「いざなぎ」超え、正式認定 戦後2番目の長さ

 

おそらく『景気いいんだなー』と思われるでしょう。

 

少しおさらいです。

 

GDPはモノやサービスの生産量です。

 

GDP三面等価の原則により所得の合計とも等しくなるため、GDPが着実に増えているのであれば『景気が良い』という表現は妥当なものです。

 

ただし統計されるGDPには『名目GDP』と『実質GDP』の二種類があります。

 

「モノ」は生産物、製品であるため「数える」ことが出来ますが、「サービス」はその「量」を直接数えることが出来ません。

 

日本国内のGDPの8割が「サービス」からなっていて、実質GDPの統計を直接取ることが出来ません。

 

名目GDPは金額の合計(=物価の総計)だけで求めることが出来ますので、生産量は変わらなくても物価が上昇するだけで増えてしまいます。

 

(消費増税は物価の直接的、あるいは強制的な引上げとなるので2014年4月の消費増税で名目GDPが跳ね上がったのはその為です。)

 

この名目GDPから物価変動率(=GDPデフレータ)を差し引くことで実質の生産量を計算して求めたのが実質GDPですが、これはあくまで「物価が上昇している」前提で成り立っていますので通常、健全な経済状況下では名目GDPの方が上昇率が高くなります。

 

名目GDP +0.2%
GDPデフレータ +0.1%
実質GDP +0.1%

 

0.2ー(+0.1)=+0.1

 

ではデフレ状況下で物価が下落した場合はどうなるのでしょう?

 

名目GDPが横這いで変動がなかった場合、(変動率0パーセント)に対して物価下落率が上回る(マイナス)事態になると、実質GDPが計算上ではプラスになってしまいます。

 

名目GDP ▲0.0%
GDPデフレータ ▲0.1%
実質GDP +0.1%

 

0.0ー(ー0.1)=+0.1

 

つまり、『経済成長=実質GDP拡大』という前提を死守すれば、デフレ状態で物価が下落すると名目GDP が停滞、あるいは縮小しているにもかかわらず実質 GDPがプラスとなり、経済成長していることになってしまうのです。

 

これをデフレ型経済成長といいます。

 

ここで『いざなぎ越え』の正体をまとめますと、

 

実質GDPが時に0パーセントを下回り、ほぼ1パーセント前後で横這いに推移する2012年から17年のこの『デフレ型経済成長』が、高度成長期の実質GDPが10パーセント前後で拡大し続けた『いざなぎ景気』を持続期間の記録としては超えましたと言っているに過ぎません。

 

なにもウソが書かれているわけではありませんが、このようなツッコミに対して麻生財務大臣もしまいには『景気なんてのゎァ〜、それぞれの運や気分の問題だぁ〜ねぇ〜』と片付けてしまいました。

 

ここでさらに麻生さんは『自己責任論』とか持ち出すのでやたらと叩かれているわけですが・・・

 

ここで詳しくはやりませんが、実際のところ『景気』と言う言葉自体に明確な定義はなくても『景気動向指数』というものが存在しています。

 

これ、景気が良くなったように見える様に指標や定義がコロコロ変えられてるんですよ。はい。

 

(゚⊿゚)

 

2019年10月 消費税増税

 

2018年6月15日、安倍内閣『骨太の方針2018』を閣議決定。

 

これに「2019年10月に予定されている消費税率の8%から10%への引き上げを実施」と明記されました。

 

『現役世代の不安等に対応し、個人消費の拡大を通じて経済活性化に繋げるためには、2019年10月1日に予定されている消費税率の8%から10%への引き上げを実現する必要がある』

 

とのことです。

 

最近は政府広報で『保育費無償化の財源』と謳われているようですが、これは完全に『後付け』です。

 

そんなもん消費増税分が全て使われなくとも、(後述しますが)もっと言えばわざわざ財源確保などせずとも実現可能だからです。

 

事実、社会保障費の財源となったのは消費増税分のおよそ20パーセントに過ぎず、主に大幅な所得税減税、法人税減税の穴埋めのための財源として使われています。

 

消費増税はモノやサービスの『価格の強制的な引き上げ』であり、消費税そのものが赤ちゃんから年金暮らしのお年寄りに至るまで、すべての消費者の『消費に対する罰金』なので、収入のそのほとんどが消費に回る低所得者ほどその身に重くのしかかる格差拡大税制です。

 

民間消費を抑制する消費増税がデフレ下においては経済に致命的な打撃を与えるものでしかないことは日の目をみるより明らかなのです。

 

安倍首相はリーマン級の経済危機がない限り増税は予定通り行うとしていますが、先に示した通り消費増税が民間経済にもたらす影響そのものがリーマン級を超える大打撃となります。

 

統計不正問題が明るみになり、もはや世界中からの信用を失いつつある日本の現状にすら危機感を持たず、消費増税に伴い軽減税率の適用が約束されたマスコミは消費増税の危険性ではなく『節約術』の紹介や『お得情報』を報じています。

 

ここまでいくとデフレ脱却の必要性ですら政府が組織的に隠匿しようとしているとしか思えません。

 

では一体なぜ、私たち国民を貧困化させる『緊縮財政こそが正義』であるかのような風潮がまかり通ってしまっているのでしょうか?

 

主流派経済学は滑稽なほどに間違っている

 

『経済学が間違っている』となぜ言い切れるのかはここまで説明させていただきました通りです。

 

デフレを全く解決できないからです。

 

昨今、露骨になっている『グローバリズム』はこのデフレを解決できない経済学の思想に基づいた政策です。

 

規制緩和、構造改革、そして緊縮財政はグローバリズムの三大政策パッケージと呼ばれていて、これは多くの国民が貧困化して社会が不安定になることと引き換えにほんの数パーセントに利益誘導するための政策パッケージなのですから、つまりはデフレを良しとしている政策思想なのです。

 

『グローバリズム』と言えばサッチャーやレーガンの80年代以降に台頭した比較的新しい思想だと思われる方が殆どではないかと思いますが、1929年に勃発した世界大恐慌に端を発した超デフレーション現象を解決できずに終わったのが『第一次グローバリズム』で、冷戦終結やEUに象徴される、現在世界を席巻しているのは『第二次グローバリズム』という事になります。

 

戦後から70年代まで西側先進諸国はケインズ主義=『国民財政主義』に基づき、政府が需要をコントロールして完全雇用を目指す政策により経済規模を飛躍的に拡大してきました。

 

当然我が国の『高度経済成長期』もこの例外ではありません。

 

即ち、サッチャノミクス・レーガノミクスに端を発した現在の『グローバリズム』を裏打ちしている現在の主流派経済学の思想は『ダメだろこれ』って事で満場一致で一度は葬り去られたはずのものだった訳です。

 

この第二次グロバーリズムの波に乗ろうとしている我が国ですが、世界ではイギリスがEU離脱で揉めています。(=ブレグジット)

 

『強いアメリカ』をスローガンに当選したトランプ大統領はメキシコとの国境に壁を建設。(密入国者対策の効果があるわけでもなさそうなので、反移民思想の象徴的な意味合いで建設しているものと思われます)

 

世界中でナショナリズムが台頭しグローバリズムが終焉を迎えようとしているさ中、我が国に於けるグローバリズム政策はかなりの周回遅れで後追いだと言えます。

 

この様に先進国である日本がさも世界的な時流に取り残されているかの様に見えるのは、日本人が建国以来2000年という天皇を中心とした長い歴史で培ってきた『ナショナリズム』が根底にあり、それを戦後70年かけて日本人に自虐史観を植え付けることにより切り崩してきたアメリカの対日政策の成果がここにきてようやく時限爆弾の様に炸裂しているからに他なりません。

 

つまりアメリカの戦後対日政策とは、自国のナショナリズムの下支えのための日本のグローバル化なのです。

 

(言い出すと経済を超えて皇統、地政学を背景とした国際紛争の歴史と、とてつもなく長くなるのでグローバリズムに関してはまた別の記事で詳しくまとめようと思います。)

 

さておき、

 

「国境を取り払う」「みんな仲良く」など、あなたは『グローバリズム』という、どことなくポワンとした世界平和的な言葉のイメージに惑わされてはいませんか?

 

「国境にこだわる時代は過ぎ去りました」なんて言ってる安倍首相の演説に

 

(゜゜)(。。)(゜゜)(。。)ウンウン

 

と、なっていませんか?

 

惑わせる様に仕向けられているのですから仕方のない事です。

 

歴史が証明しているように『グローバリズム』も『ナショナリズム』も行き過ぎれば国を滅ぼすことにしかなりません。

 

大事なのは、『自己責任論』を蔓延させることによって支配層に有利な『グローバリズムの闇』を私たちに気づかせない様に仕向けられている事に気付くことなのです。

 

御用経済学者達が必死に否定する黒船『MMT』

 

既存の経済学ではどうにもできない長期化するデフレの具体的な解決手段を提唱しているのが今話題の『現代貨幣理論=MMT』です。

 

以下、MMT (Modern Monetary Theory)について説明させて頂く前に、『お金のプール論』という蔓延した誤解を解き、私自身がMMTを理解するために大変役に立った『お金とはどの様に生まれるのか?』というプロセスについてお話をさせて頂きます。

 

お金のプール論

 

『お金のプール論』とは、

 

  • お金とは質量をともなった『モノ』であり、そのお金をかき集めてくると仮想的にプールが作れる。
  • そしてそのお金の量は一定である。

 

といった全くの誤解のことを言います。

 

『現在は市中銀行に国民の資産=預金が十分にある為なんとかなっていますが、今後少子高齢化が進み、その反動で預金の取り崩しが行われますと国債も発行できなくなり国内的、対外的に財政のファイナンスが損なわれ、国の財政が破綻します』

 

というのが政府が『お金のプール論』に基づいて『緊縮財政』を正当化する理屈です。

 

これはつまり、全体量が決まっているところ(=お金で作ったプール)から将来的に国民が多く使う事になるため、政府が使えるお金がその分減ってしまい財政破綻する。なのでどうしても国の借金(正確には政府の負債)は将来的な税金(増税分)で返さなくてはならなくなるという話ですね。

 

ならば政府(日銀)が紙幣を大量に刷る事によって意図的に世の中のお金の量(マネタリーベース。ここで言うプールの中のお金)を増やせば景気が回復するじゃないか!

 

と言うもっともらしい話で第二次安倍内閣発足時より日本銀行が実際に行った量的緩和により預金取扱機関(=銀行)の日銀当座預金は、既に360兆円にもなっていますが、実際のところは一向に景気は回復しません。

 

経済学(リフレ派経済学者)のセオリーに基づいた7年間にも及ぶ量的緩和政策は、結局なんの効果もありませんでした。

 

なぜでしょうか??

 

日銀当座預金は市中銀行が日銀に預け入れているお金のことで、このお金は直接の消費にも投資にも回りません。

 

この残高割合(市中銀行は『準備預金制度』により、預金の一定比率以上の日銀当座預金を保有しなければならない)を上限に銀行が企業や個人に貸付を行う事によってお金は初めて実体経済で流通するのです。

 

この事を理解するために、そしてお金のプール論に基づいた国債発行のプロセスが破綻していることを確認するために、まずは銀行がお金を生み出す仕組みを知って下さい。

 

銀行の誕生〜お金は金属主義から債務と債権の記録へと変わった〜

 

中世欧州で流通した『お金』である金貨、銀貨は『モノとしての価値』を持つ貴金属そのものでした。

 

商業が盛んだったロンドンでは大商人の手元にその金貨、銀貨が積み上がっていくことになりました。

 

この現象をわかりやすく言うと、商人たちがモノやサービスの対価として受け取った貴金属そのものの保管に苦労し始めたという事。

 

次第にロンドン商人たちの間で『自分たちが稼いだ金貨を安全に保管する必要』が生まれました。

 

その需要に応える形で当時のイングランド王国の要塞でもあったロンドン塔で金貨を預かるという行政サービスが開始されました。

 

結果、ロンドン塔には大量の金貨、銀貨が集まりましたが、後のピューリタン革命で殺害されるイングランド国王”チャールズ1世”が1640年に戦費調達の名分でロンドン塔の金貨、銀貨の没収を図ったため、大商人たちは別の保管手段を模索し始めました。

 

そこで商人達が目を付けたのが金細工商人達、いわゆる『ゴールドスミス』が大量の材料保管のために持っていた頑強な『金庫』。

 

ゴールドスミスは行政に成り代わって大商人達から金貨を預かり、引き換えに預かり証(=金匠手形)を発行するサービスを始めました。

 

ここでゴールドスミスはあることに気がつきます。

 

『アレ?商人どもが一斉に金匠手形を持ち込んで金庫で保管している金貨を引き出す事ってあり得なくね?』

 

「(゚ペ)

 

じゃあって事で、ゴールドスミスが自分の金庫に商人から預かっている金貨を勝手に他に貸し出すことで金利を得る商売を始めたのです。

 

金貨の借り手の目的が『金貨の保管』である筈がないのですから、そのお金は当然『支払い』に使われる訳です。

 

さらにその支払いを受けた商人の手元にまた金貨が積み上がってきますね?

 

あら不思議、その金貨はまたゴールドスミスの金庫に『預け入れ』の形で帰ってきましたよ!

 

( ・∇・)アラ!

 

(ゴールドスミスが一軒しかなかったわけではないので『実際に金貨を貸し出したゴールドスミスの手元に金貨が舞い戻って来た』というような話ではありませんが、マクロ的には戻っているということです。)

 

そしてこのゴールドスミスが始めた『金貨預かりサービス』はもうひとつの不思議な現象を引き起こしていました。

 

ゴールドスミスが金貨と引き換えに発行した金匠手形が、金貨と交換されることなく市中で決済に直接使用されていたのです。

 

ゴールドスミスに金貨を預けている商人達が買い付けの際に、金貨〇〇枚相当の金匠手形を取引先に渡すことでわざわざゴールドスミスの工房まで大量の金貨を引き出しにいく手間を省いていたものだと思われますが、これがそのまま『紙幣』となったわけです。

 

ゴールドスミスはここでまた気付きます。

 

『アレ?商人どもが金貨を引き出しに来るわけでもないし、別に実際に金貨を預からなくても金匠手形そのものを貸し付ければ、俺たちだけでいくらでもお金が作れるって事になるんじゃね?』

 

「(゚ペ)

 

ということで金貨を借り入れに来た人から『借用証書』を預かるのと引き換えに、保有する金貨の量と関係なく『金匠手形』を発行するビジネスがなんの問題もなく成立してしまいました。

 

(゚Д゚)

 

これが銀行の原型です。

 

整理してみましょう。

 

ゴールドスミスは借用証書と引き換えに『金額を書き込んだ金匠手形』という紙幣を発行しました。

 

仮にあなたが事業資金として三千万円を銀行から借り入れた場合、銀行は借用証書と引き換えに通帳に¥30,000,000と『金額を書き込む事』で三千万円の『銀行預金』というお金を発行します。

 

つまり、銀行は他の預金者から預かっているお金から三千万円を抜き取ってあなたに融資しているのではありません。

 

(もちろん札束を借り入れてトランクに詰め込んで持ち帰るのもアリですが、常識的な話としてお聞きください。)

 

ゴールドスミスが金庫に預かっている金貨そのものを貸さなくてもよかったのと同様に、銀行が融資するお金が預金者から預かっている預金である必要は全くありません。

 

銀行が融資をするとき、実際に『現金』という『モノ』を動かす必要が一切無い為、理論的には完全にゼロから無限にお金を作り出す事ができるのです。

 

とは言え、本当になんもないところからいくらでも勝手にお金が作り出せるとなるとめちゃくちゃになってしまうので『受け入れている預金等の一定比率(これを「準備率」といいます)以上の金額を日本銀行に預け入れること』を義務付ける制度=準備預金制度が存在し、これを各銀行の貸し付けの上限としています。

 

このように銀行がお金を生むプロセスは『通帳に書くだけ』という、受け入れ難いほどに恐ろしく単純なものなのです。

 

この現象を『与信』『信用創造』などと言いますが、言い換えるとお金はそれ自体に価値のある貴金属のような『モノ』ではなく、債務と債権の記録そのものでありお金は貸し借りの関係が成立するだけで生まれるということがわかります。

 

このプロセスを経てようやく銀行が保有する日銀当座預金を後ろ盾とした『民間で使えるお金』が発行されている事、そして市中銀行が借用証書と引き換えに無からお金を生み出すのと同様に、政府が発行した国債と引き換えに日銀が無限に日銀当座預金を発行できるということに留意して下さい。

 

銀行の仕組みが理解出来たところでなぜか『国の借金』と呼ばれる『政府の借金』の正体に迫っていきましょう。

 

国債発行のプロセス〜政府が国債を発行すると誰の資産が減るのか?

 

政府が国債を発行して1000億円の公共インフラ整備を行った場合のフローを見てみましょう。

 

 

 

  1. 政府は国債を発行してどこぞのメガバンクから日銀当座預金を借り入れます。このメガバンクから見ると、保有している『日銀当座預金』という日銀の債務が『国債』という政府の債務に入れ替わっただけで、銀行の資産総額に変動は無く、お金の発行もしていません。
  2. 政府は事業を受注した企業に対し、メガバンクから借り入れた日銀当座預金を担保に1000億円の額面の政府小切手を発行して代金を支払います。個人が当座預金を担保に小切手を払い出すプロセスと同じく、この時点でお金が発行されたことになります。
  3. 企業は1000億円の政府小切手を銀行へ持ち込んで同額の銀行預金を発行してもらい、
  4. そこから従業員の給料や下請け企業への支払いをします。
  5. 銀行は1000億円の政府小切手と引き換えに日銀から同額の日銀当座預金の発行を受けます。
  6. 最終的に政府が発行した1000億円の額面の政府小切手は統合政府(政府+日銀)に戻ってきました。
  7. 日銀は銀行が差し入れた1000億円の政府小切手を1番目のプロセスで政府がメガバンクから借り入れた日銀当座預金で相殺して消してしまいます。

もうお分かりですね

 

政府は銀行が保有する『日銀当座預金』と『国債』を入れ替えただけです。

 

政府が国民の預金からお金を借りて国債を発行しているのではありません。

 

実際には全く逆で、政府が国債を発行すると、家計や企業の貯蓄が積み上がることがわかります。

 

( ̄▽ ̄)

 

リフレ派経済学者の誤算

 

デフレ脱却を公約に掲げた安倍政権はリフレ派経済学者の主張通りの政策により、日銀がインフレ率達成目標2パーセントを掲げ、更に量的緩和によってマネタリーベースを異次元レベルで拡大しました。

 

しかしGDPデフレータ(=インフレ率)は2017年、18年と2年連続でマイナス。結果、日本経済は再デフレ化してしまいます。

 

リフレ派理論では『中央銀行のインフレ目標のコミットメントにより市場の期待値が一気に高まり、投資が活発になる事でデフレ脱却する』という読みだったのですが、量的緩和によって大量に発行した日銀当座預金が市中に流通しない、

 

つまりは、デフレ脱却に十分なお金を生み出す用意が整っている銀行に、誰もお金を借りに来ないという状況に陥っているという事になります。

 

なんででしょう?

 

それはデフレだからです。

 

金利がめちゃめちゃ安いのは単にお金の借り手が付かない銀行間での利下げ競争の結果です。

 

リフレ派経済学者らの思惑通りに銀行が2パーセントのインフレ上昇率を見込んでいれば0.数パーセントの低金利の設定はしません。単純に損しますから。

 

デフレ下でのデフレ予測の結果、低金利ですが企業は内部留保、個人はタンス預金に走り、もはや誰もお金を借り入れようとしないのは結局のところデフレだからです。

 

先にも書きました様に、デフレとは消費や投資という需要が不足している経済現象なのですから、リフレ派の理論で民間の投資を促すのではなく、政府が積極的に国債発行し、財政出動によって直接市場に働きかけて需要を拡大さえすればいい話なのです。

 

ここに着目しているのがMMTです。

 

対してリフレ派の主張はこうです。

 

『MMTを採用したらインフレ率を制御できなくなってハイパーインフレになってしまう!』

 

アレ?(゚Д゚)

 

デフレ脱却=インフレを標榜しているという事ではなかったのですか?

 

インフレ率が制御できなくなると言いますが、この日本で7年間にも及ぶ検証に耐え、実証された強力な財政政策があるではありませんか!

 

少々乱暴な言い方ではありますが、たった2パーセントのインフレ率すら達成できてもいないのにハイパーインフレの心配をしてる場合でもありません。

 

MMTの肝は『お金がどのように生まれるのか』を正しく理解することに尽きます。

 

  • お金は一種類で決まった量しかないわけではないので、お金のプールは作れない。
  • 銀行は信用創造によって、ただ通帳に書き込むことで貸し付けとして預金を発行する。
  • 銀行の貸し出しを増やすのは財政支出である。
  • 銀行の貸し出しによって民間(家計)の預金が増える。

 

これらを踏まえると

 

『政府が国債発行を増やすと金利が上昇し、民間が投資のための資金を借りられなくなるクラウディングアウトが起きる』とか『日銀当座預金を含むマネタリーベースの拡大で銀行の貸し出しが増える』など、いかに的外れな考え方であるのかおわかりいただけるものと思います。

 

さてここからはMMTについてもう少し詳しく見ていきましょう。

 

MMTは『不都合な真実』を明らかにする

 

MMT派の経済学者であるランダル・レイ教授やステファニー・ケルトン教授は、ケインズ、シュンベーダー、ラーナー、ミンスキー、ガルブレイズら錚々たる経済学者達の遺志を継ぐ、言わば、先進国の大規模な経済成長を裏付ける『国民財政主義』に基づく、かつての主流派の系譜にある経済学者です。

 

メディアに「異端である」と評されるMMTは、決して「異端」などではないという事です。

 

MMT (Modern Monetary Theory)の名が示す通り、中身は単に『現代貨幣の真実』を詳らかにし、それに基づく財政民主主義の在り方を述べているに過ぎません。

 

その内容が現在の主流派経済学の価値観を根底から覆すほどのインパクトを持っているものですから、財務省や政府、御用経済学者などは、これまで自らの手で一部のビジネスのために経済学を誤用し、多くの国民を貧困に陥れ、そして多くの国民の命を奪ってきたと認めるわけにはどうしてもいかない訳です。

 

これがリフレ派を含む主流派経済学 VS MMT の論争が『天動説』と『地動説』に例えられる所以です。

 

MMTの基本理論

 

  1. 自国通貨を持つ政府は、財政的な予算制約に直面することはない
  2. すべての経済は、生産と需要について実物的、あるいは環境的な限界がある
  3. 政府の赤字は、そのままその他の経済主体の黒字となる

 

順に見ていきましょう。

 

自国通貨を持つ政府は、財政的な予算制約に直面することはない

 

『自国通貨を持つ政府』とは、政府、または自国の中央銀行(日本政府は日本銀行)で自国通貨を発行する『通貨発行権』を有する政府のことです。

 

その通貨発行権を有する日本政府はドルやユーロや仮想通貨など、日本円以外での『納税』は一切認めていませんし、日本円建ての国債しか発行していません。

 

過去に財政破綻を経験した国々=『外貨建て(ロシア、アルゼンチンなど)』、『共通通貨建て(ギリシャなど)』と同様に通貨発行権を有しない政府が債務不履行(=財政破綻)に陥る可能は普通にありますが、政府の負債が100%日本円建てである以上、日本政府が財政破綻に陥る可能性はゼロであるということです。

 

自国通貨発行権を有する日本政府が『国債発行の際に借りるお金がなくなって財政破綻する』なんてことは絶対に起こり得ないということです。

 

つまり、インフレ率の許容上限(=潜在供給能力の限界)まで財政破綻することなく赤字国債を発行することが出来ます。

 

日本政府』と『日本銀行』はそれぞれ、『親会社』と『子会社』の関係となり、連結決算のルールで貸し借りや利払いの義務は相殺されてしまうため、日銀は日本政府が発行した国債を買い取った瞬間に、利払いも返済も不要なお金を発行したということになるのです。

 

・・・それでも日本政府は日銀が保有する国債に利払いを続けています。

 

これをもう少しわかり易くしてみましょうか。

 

『小遣いが足りないんで(専業主婦の)嫁さんにお願いして毎日昼食代に1,000円ずつ借りて会社に通っていたら、一か月で3万円もの借金になってしまったー!さぁ大変だー!どうしよう!?利息だけでも返さないと!』

 

こんな人いませんよね?

 


 

財政破綻論を煽り、強力な緊縮財政を推し進めている財務省ですが、実はこのことを正式に認めてしまっている公開文書があるんです。

 

財務省:外国格付け会社宛意見書要旨『自国通貨建て国債のデフォルトは考えられない』

 

さらには実際に財政破綻したギリシャの政府債務残高対GDP比183.5%を大きく超えてなんと対GDP比235%(IMF2016年統計資料)にまで膨らませることが出来る日本に財政破綻の兆しすら見えないという事実が示す通り、

 

財務省は『日本円の通貨発行権を持つ日本政府が、100%日本円建ての負債について債務不履行となる(=財政破綻)』のロジックを説明することができません。

 

だからこそわざわざ権威プロパガンダを利用して経済学者にMMTを批判させ、財政破綻論を煽り、政府の緊縮財政を正当化する必要があるのです。

 

すべての経済は、生産と需要について実物的、あるいは環境的な限界がある

  1. 自国通貨を持つ政府は、財政的な予算制約に直面することはない

でした。

 

上の赤字国債についても触れましたが、これには『供給能力の限りにおいて』という但し書きが付きます。

 

『供給能力』とはこの記事の前半で解説した、本来の供給能力である『潜在GDP』のことです。

 

例えば、あなたが一日あたりの生産性を時間に換算して労働時間を1時間ずつ増やすとします。

 

それを延々と繰り返し増やしていくと24時間を越える労働となります。

 

さすがに起きてられないし集中力も欠くという事態になりますと許容される100パーセントを越える需要を満たそうとしている事となり、

 

生産性はむしろ下がります。

 

「生産の限界」つまり「供給能力の限り」とはわかりやすくいうとこういう事です。

 

デフレでは実際に生産され、消費されたモノやサービスの総額である『名目GDP』が、国内のあらゆる労働力と設備が100パーセント稼働して生産されるモノやサービスの総額である『潜在GDP』を完全に下回っている状態。

 

『潜在GDP』>『名目GDP』

 

さて、これが逆転し、『潜在GDP』<『名目GDP』となった場合がインフレです。

 

健全な範囲のインフレ率とは『潜在GDP』を『名目GDP』が常に牽引している状態。つまり供給能力を高める為の投資や消費(=生産性の向上)が喚起されるレベルの事を言います。

 

ここで『GDP三面等価の原則』をさらっておきますと、『生産(供給)面』、『支出(需要)面』、『(所得の)分配面』。この3つのGDPの総額は必ず一致するということでしたね。

 

財政政策によって名目GDP(=総需要)を拡大することは、ひいては国民の所得の拡大に繋がるということです。

 

政府の国債発行や財政出動は名目GDP、つまりは総需要を拡大することで潜在GDPを引き出してさらに潜在GDPを拡大する原動力となりますが、これが行き過ぎると供給能力を完全に超えたインフレギャップが生じてしまい、リフレ派経済学者が恐れるハイパーインフレになってしまいます。

 

つまりは、国債発行や財政支出の限界はマスコミが濫用する『国の借金(=実際は政府の負債)』の絶対額などではなく、『インフレ率』、または『供給能力』であるということです。

 

民間経済が投資を蓄積し、生産性向上をして供給能力を引き上げていく限り、その国債発行や財政出動の限界値も高まっていくことになります。

 

言い方を変えると、財政赤字を理由に財政出動を渋る限り、『デフレ脱却』はおろか、『経済成長』など偶然でも起こり得ないということです。

 

『もう戦争でも始めないことには日本が生き残る道はない!』ヾ(*`Д´*)ノムキー

 

この記事を読んでくださっているあなたはこんなことは微塵も考えないとは思いますが、財政破綻論をすっかり信じ込まされてるヤケクソになった人がこの様に言うのも『政府の財政出動を喚起する』という意味では一理ありますね。

 

政府の赤字は、その他の経済主体の黒字である

 

『誰かの黒字は、誰かの赤字』『誰かの資産は、誰かの負債』

 

これは不変の絶対的な法則です。

 

『政府のプライマリーバランス黒字化』=『民間経済の赤字化』なんですね。

 

これをより理解していただく為に『統合政府』による徴税と『スペンディング・ファースト』について解説いたします。

 

統合政府の黒字は民間経済の赤字

 

日本政府と日本銀行は『親会社と子会社』の関係であり、二者の間に連結決算ルールが適用されることは前述の通りです。

 

これをひとまとめに『統合政府』とすることで企業や家計を主体とした『民間経済』との関係が非常に分かりやすくなります。

 

統合政府は『財政支出』として民間経済にお金を渡します。

 

  1. 民間経済が生産したモノやサービスへの代金の支払い
  2. 民間経済に対する所得の移転

1.はGDPとしてカウントされる『生産者が生産したモノやサービスへの支出』、2.はGDPとしてカウントされない年金や生活保護費などです。

 

逆に統合政府は民間から所得税や法人税など、『所得の分配』によってお金を移動させることができます。解りにくい表現ですが、つまりは『直接税』のことです。

 

わざわざなんでこんな呼び方したか?というと、2.の年金支給などを『所得の再分配』と呼ぶ理屈が分かりやすいからです。

 

もう一つ、徴税のルートがあります。『生産者』に属さない年金受給者や生活保護受給者など全くお金を稼ぎようのない国民からも統合政府に所得を移転させる『消費税』という名の『間接税』です。

 

つまり徴税においても『所得の分配』と『所得の移転』という2つのルートが存在し、統合政府と民間経済の間には完全にトレードオフの関係が成り立つのです。

 

 

予算執行のプロセスは政府の支出ありき

 

税金が支出される流れを、『政府が徴税し、公共サービスなどへの支出をする』と思われている方がほとんでしょうが、MMTではこれを真逆に説明しています。

 

予算執行のプロセスはまず政府の支出ありきで、これをスペンディング・ファーストと言います。

 

皆さんはまず稼いで、そこから支出をしていますね?

 

そうすると政府がまず徴税をしてから支出をしているものだと考えてしまうのですが実際には逆なんです。

 

予算執行において国庫に十分なお金がない場合、政府が『財務省証券(国債や政府小切手と同じく借用証書)』を日銀に差し入れ、日銀当座預金を調達しそれを財源としています。

 

予算執行が行われた年度末に年末調整や確定申告で私たちの納税額も決定していることを踏まえて考えると、スペンディング・ファーストがより簡単に理解できると思います。

 

つまりここでご理解いただきたいのは『政府支出のために税収が必要』という話が根拠薄弱であるということ。

 

実際には政府は徴税や国債発行なしでも普通に予算を支出できるのです。

 

このように政府予算は徴税や国債発行を完全に無視して執行されているのですが、これをMMTではOMF(=Overt Monetary Financing)として説明しています。

 

そうすると『政府は税収で負債を返済しなければならない』とか『政府は予算制約式に束縛され、財政拡大は財政破綻につながる』といったような財政均衡論(=プライマリーバランス論)の根拠である『予算制約式』は、予算執行のプロセスを完全に無視したものであることがわかります。

 

もう少しわかりやすく説明します。

 

『予算制約式』では、経済主体は一生涯に稼ぐ所得以上の借り入れはできない。となっており、寿命のある『個人』が生きている間に返済し切れない借金をすると、負債を子孫に残すことになるので『予算制約式』には合理性があります。

 

ところがグローバリストや経済学者は、これを通貨発行権を持ち未来永劫続くはずの『日本政府』にまで適用しているのです。

 

『子孫にツケを回してはならなーい!』とか言ってますが、ひょっとして日本政府に寿命を設定しているのでしょうか?

 

・・・なんかとんでもないことを考えている奴らですね。

 

(。・ω・)(・ω・。)ネー

 

蔓延している『財政破綻論』に正当性はない

 

いかがでしょう。

 

ここまでのMMTの概要だけで蔓延する『財政破綻論』、または『財政均衡論』そのものに合理性がないことを説明してきました。

 

 

インフレ率(=供給能力)を上限にする限りにおいて自国通貨建ての政府の財政破綻(=デフォルト)は、あり得ないということ。

 

そして

 

たとえ税収が『ゼロ』であったとしても財務省証券、国債、日銀当座預金、政府小切手により普通に予算執行が可能なのが、自国通貨の通貨発行権を有する『統合政府』であるということがご理解いただけたものと思います。

 

財政均衡論のロジックにはこのような穴がいくつもあり、多くの政治家を含め、私たち国民が政府やマスコミにいかに騙されてきたかということにお気づきいただければ幸いにございます。

 

主流派経済学のあまりにお粗末な欠陥

 

存在しない『経済人』を前提にした学問

 

経済学というのは経済人(=経済合理性のみを追求し、他の一切の価値観を排除した人間)という、あり得ない存在を前提とした学問です。

 

つまり『経済人』という、同じ価値観、同じ情報を共有した存在が、フェアに競争して財やサービスを売ったり購入することによって経済学の目的である『効用の最大化』が達成されるというものです。

 

本来、人間というのは子供を育てたり、人を愛したり、音楽や絵画やドライブやゴルフやおしゃれに夢中になったりするものです。

 

例えば政治家だと、『国民の生活のために』とか、『国家の安全保障のために』とか、いろんな思惑を持った人間の集まりが実体経済を構成していると考えるのが自然なはずなのですが、経済学はそういう価値観を一切排除した『経済人』以外の存在は認めていないのです。

 

情報が均等に与えられて共有されているなんてことが『あり得ない』と言い切れる現実の中に私たちは居ます。

 

それでも情報が等しく共有されて市場でフェアに取引しているという、『現実とかけ離れた前提』でモデルを作り続け、経済学は発展して来ました。

 

計算機が常に『+0.007』を隠し持っている状態で計算をすると、どんな複雑な(あるいはどんな単純な)計算式も正しい答えを導き出すことができません。

 

つまりはハナから前提が間違っているからこそ不都合な現実を説明できないのです。

 

これを端的に言い表した(皮肉った)フリードリッヒ・リストの言葉です。

 

『豚を育てる人間は生産的であり、子供を育てる人間は非生産的である』

 

フリードリッヒ・リスト(Friedrich List, 1789年8月6日 - 1846年11月30日)は、19世紀のドイツ人経済学者。ドイツ歴史学派の先駆者。ナショナルシステムまたは後にナショナルイノベーションシステム(英語版)と呼ばれるいくつかの理論を発展させた。初期の欧州統一理論家であるとされ、その考えは欧州経済共同体の礎となった。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

 

つまり経済学というのは、『効用』こそがその目的の学問なのです。

 

なんでこんなバカバカしい話になるのかというと、様々な価値観を持って経済活動に参加している人間が存在すると、『数式モデル』が作れないからです。

 

わかりやすい一例で『セイの法則』を使って説明してみます。

 

セイの法則(セイのほうそく、英: Say's law, 仏: Loi des débouchésは、「非貨幣市場の総供給と総需要が常に一致する」という原則である。フランスの経済学者ジャン=バティスト・セイによって発見され、「セイ法則」、「販路説」などとも呼ばれる。「近代経済学の父」リカードが採用したことから、マルクス、ワルラス、ヒックスといった多くの経済学者によって継承されたが、ケインズ『一般理論』(1937年)によって否定され、その問題点が広く認知されるようになった。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)

 

需要(Demand)をD、供給(Supply)をSで表す。

 

D1+D2+.....+Dn=S1+S2+.....+Sn

 

「非貨幣市場の総供給と総需要が常に一致する」とあるので、DとSを結ぶイコールは3本線の『絶対イコール』。

 

これは、交換の前提の無いものは一切生産されない、または生産されたのであれば交換対象となる生産物が必ず存在する。という話です。

 

『生産物は必ず他の生産物と交換される』、つまりは『物々交換』が前提となる理論。

 

この時点で既に大間違いですが、ワザとこの数式を使って表現するとデフレはD<Sとなるので、『絶対イコール』が破れていることは明白です。

 

しかし『セイの法則』に関してこの様な一方的な話のまとめ方もよく無いので、論旨を掘り下げてみていきましょう。

 

あらゆる経済活動は物々交換にすぎず、需要と供給が一致しないときは価格調整が行われ、仮に従来より供給が増えても価格が下がるので、ほとんどの場合需要が増え需要と供給は一致する。それゆえ、需要(あるいはその合計としての国の購買力・国富)を増やすには、供給を増やせばよいとする。

ジャン=バティスト・セイが著書『経済学概論』第1巻第15章「販路」に叙述したことからセイの販路法則と呼ばれることもある。単に「セイ法則」とも呼ぶ。セイの法則が主張する重要な点は、経済の後退は財・サービスへの需要不足や通貨の不足によるものではないとする点にある。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)

 

>需要と供給が一致しないときは価格調整が行われ、仮に従来より供給が増えても価格が下がるので、ほとんどの場合需要が増え需要と供給は一致する。

 

この箇所は『デフレスパイラルにおける物価の下落』そのものを言い表しているにすぎません。(価格調整=インフレ抑制とも言えますが)

 

>需要(あるいはその合計としての国の購買力・国富)を増やすには、供給を増やせばよいとする。

 

経済現象としての『需要に対する供給過多』なのがデフレなのでデフレを深刻化させる事にしかなりませんが、これもインフレを抑制する手段とも言えます。

 

>経済の後退は財・サービスへの需要不足や通貨の不足によるものではないとする点にある。

 

実際には全く逆です。経済の後退=デフレは(総)需要の不足です。

 

リフレ派理論では、これが『通貨の不足』という話になり、その前提を踏まえた日銀による大胆な量的緩和政策がなんの成果も上げていないことから分かる通り、通貨の不足によるものでもないところはセイの法則の通りです。

 

まとめますと、デフレ脱却という見地に立った場合、殆どなんの役にも立たない話であるということはお分かり頂けるかと思います。

 

とにかく経済学では『需要不足』は起きないということになっていて、『インフレ抑制の見地に偏りデフレを全く想定していない』=『デフレを解決できないもの』であるということをご理解ください。

 

そもそも経済学は、政治の政策による実体経済への介入を極度に嫌います。

 

『えっ?国民財政主義?ナニソレ?』の世界なのです。

 

『政治が経済を主導すると国民がワガママになって財政規律が歪められてしまう』

 

民主主義国家で国民が選んだ国会議員が国民のための財政政策を執り行うのは当たり前の話なのですが、御用学者達が言いたいのは『経済人以外のサンプルが大多数だと経済学の根幹が揺らいでしまう』ということ。

 

本来のアベノミクスの財政政策やMMTは彼らにとって実に不都合なんですね。

 

なので我が国の経済政策においても、先述したような『こじ付け』や『統計サンプルの入れ替え』が横行しており、御用学者がこぞって緊縮財政を正当化し、現実としてデフレ脱却ができないというわけです。

 

間違った前提を自分の政治的目標のために有効活用する人たちがいる

 

その間違った経済学の前提を巧みに利用する人達がいます。

 

緊縮財政とはつまり『政府は国民のためにお金は使いませんよ。自分でなんとかしてくださいね。』と言う話。

 

『規制緩和や構造改革を推し進めることにより新たなビジネスが可能になる』

 

と聞いてどう思いますか?

 

『ビジネスの可能性が広がるのだからいいことじゃないか。』と思いますか?

 

『種子法廃止』『水道法改正(コンセッション方式による民営化)』など、芸能人スキャンダルの報道の裏で着々と重要法案が可決されていますが、それらの規制はそもそもは(インフラは特に)品質維持や価格安定化のため、ひいては国民の安全保障のための規制であったはずのものです。

 

それらを外資に売り渡す規制緩和を一言で言い表すと『売国』といいます。

 

また別記事で詳しくやるつもりですが、市場を開放する前提に立ったグローバリスト達の思惑とは一体なんなのか?を皆さんもよく考えてみて頂きたいと思うのです。

 

それでも財政健全化

 

さて、ここで西田昌司参議院議員(自民党)の参議院決算委員会質問をご覧ください。

 

グローバリズム批判に始まり銀行がお金を発行するプロセス、後半からはMMTも交え消費増税延期の提言と、隅から隅までマトを得た財政政策全般に関する質疑ですので全編をご覧頂きたいのですが、ここでの見どころは24:17付近〜西田昌司さんが日銀の黒田総裁と麻生財務大臣を指名して3つ目の質問をしている箇所からです。

 

ご覧いただければ、20年以上受け継がれる均衡財政主義がいかに根深いものであるのかがお分かり頂けるものと思います。

 

 

ご覧の通り、答弁をしている財務大臣、日銀総裁、そして内閣総理大臣、彼らは経済を理解しようともしない不勉強な議員とは違い、MMTの有効性をしっかりと認識しており、真っ向からMMTそのものを否定することができません。

 

(総理の答弁から読み取れるように、当初アベノミクスで提示されていた財政政策こそがMMTが示唆する財政政策そのものでもあったわけです。)

 

MMTの『自国通貨建ての政府は財政破綻しない』前提に基づき、財政政策を改めるべきとしている西田さんの主張に対し、『財政破綻する』ことを前提とした緊縮財政を行なっている政府が、『そういった極端な議論は如何なものか?』と、ひたすら核心に触れることなく、それぞれの立場からMMTを採用しない言い訳一辺倒でのらりくらりとかわしています。

 

『財政破綻論』に基づく緊縮財政政策を執り行う政府、またはすべての財政破綻論者がなすべきMMTに対する反論としては、『自国通貨建ての政府は財政破綻する』であるはずです。

 

財務大臣や日銀総裁が国会の場でそれが出来ない理由はただ一つ、国会で『財政破綻する』と『ウソ』をつくことは『偽証罪』に問われる重罪となるからです。

 

その後の安倍首相の答弁でもわかる通り、現行の財政政策は経団連を主とした経済界からの強力なバックアップによって構築されているということも知っておいてください。

 

この記事のまとめ

 

なんかまた長くなってしまいました。

 

冒頭の繰り返しになりますが、私たちは『政府やマスコミに情報をコントロールされている』という事実を、経済を学ぶことを通じて知っていただきたいのです。

 

これこそがこの記事に込めた私の思いです。

 

最後まで読んでくださって本当にありがとうございました。

 

(・∀・)

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