経世済民

日本国民を貧困化させる緊縮財政の歴史的背景

10/26/2019

府が税収を増やして支出を切り詰め、財政を黒字化する『緊縮財政』。

 

企業や私達一般家庭の家計では収入を増やして支出を抑え、収支のバランスを整えて「儲け」を出すなんてことは事業や家庭を健全に維持するためにごく当たり前にやることなので、「国家運営を健全にする為の緊縮財政」は理に適った物に見えます。

 

ここで一つ考えてみて欲しいのですが、

 

世の中のお金そのものは一体誰が何の目的で生み出しているのか?という事です。

 

そもそも永続的な国家の運営に必要になる『お金』というものは、統合政府(政府+政府中央銀行)がその権限により発行したものです。

 

国がこれを市中に流通させ、個々の儲けから税金として吸い上げ、国民に様々な再分配を執り行うことで国というものは成り立っている訳です。

 

しかし徴税と再分配のサイクルだけでは決まった量の奪い合いで全体のお金の量は増えませんね。

 

統合政府が繰り返し新規にお金を供給させ続けるからこそ物やサービスも、そして給料も増え、ひいては新たな需要を生み出し技術革新が進む事で経済は成長する事になります。つまり、政府が永続的に政府支出を増やし続ける事でしか経済発展せず、国民の生活は豊かにはならないという事です。

 

国の経済発展には政府による新規の支出を増やし、新たな需要を生み出し続ける政策がどうしても必要になるのです。

 

もちろん漫然とお金を増やせばいいというわけではありません。

 

「インフレ率」という指標があり、需要と供給の最適なバランスを調節して経済発展させていくのが政府本来の役割なのです。

 

「対GDP比で世界一負債が多い日本は財政破綻しかねない」という理由から、我が国は20余年もの長い間、『世界一経済発展していない国』となりました。

 

 

かつて世界第2位の経済大国が没落した、俗に『失われた20年』と呼ばれている時代です。

 

財政の黒字化が目的であるならば、家計や経理と同じく、支出(=新規の国債発行)を極力抑え、収入を増やせ(=増税)ばいいだけです。つまり長期にわたる緊縮財政によって供給能力である生産能力や労働力をコストカットし続けてきたという事です。

 

日本政府はその様な「家計型の財政政策」を20年以上に渡り推し進めて民間のお金を減らし続けた訳ですから、我が国は20年以上経済成長していなくて当たり前です。

 

日本経済がこうまで疲弊しようとも政治家、経済学者、財界人や芸能人コメンテーターを含めた緊縮財政推進派の勢いは止まりません。

 

彼らの主張は『日本は財政破綻する』なのですが、緊縮財政を押し進め、日本の供給能力を限りなく縮小する事で、もはや日本を財政破綻させる事に心を砕いています。

 

近年のコロナ禍対策とした国民一人当たりに対する10万円の補助金給付においてはもっとも単純な形で『国の通貨発行によって国民の資産が増える』ことが明白になりました。

 

つまり12兆円程度の新規国債発行で日本の財政はびくともしない訳ですが、緊縮財政推進派とは、それ(=赤字国債)を将来世代へのツケの先送りだと言ってはばからない連中のことです。

 

国民のために存在するはずの日本政府や財務省が、なぜ国民に対して手厳しい緊縮財政を強いることに必死なのでしょうか?

 

そしてなぜ多くの日本人がこれに簡単に同調してしまうのでしょうか?

 

実は、学校教育でゴッソリ欠落している「戦後史」にその答えがありました。

 

 

「日本が終わってるんじゃなくて、『お前』が終わってんだよwww」

 

と、どこぞの有名人が言い放った言葉そのまま、

 

自分の暮らしが上向かないのは全て自分の努力が足りないせいだと思いますか?

 

確かにグローバリズムの波に乗る事を「努力」というのであればそうかも知れませんが、敗戦をきっかけに日本人が「間違った努力」をする様に政治的にコントロールされてきたのです。

 

勿論あなただって「自分ではどう頑張ったってこれ以上は収入が増えない」というところまで様々な努力をしてきたでしょう?

 

グローバリズム(緊縮財政、移民推進政策、構造改革)によって意図的に格差が拡げられることで、多くの日本人のその努力がムダになってしまったという事です。

 

私たちの多くは『洗脳』によってこの国が進むべき道の選択を間違え続けてきたのです。

 

少数の勝ち組を支える為に大多数の負け組がどうしても必要なグローバル社会においては、誰もが不安なく平等に幸せな生き方をすることは許されません。

 

グローバリズムに支配された現在の格差社会は、思惑が思惑を呼び、そして無知が無知を呼んだ結果なのです。

 

もしあなたがこのような話を退屈に感じてしまうのであれば、その理由もここにあるはずです。

 

つまり、国民が無知であるほどこの国の支配層にとっては都合がいいという話なのです。

 

せっかくここまで読んだのだから覚悟を決めてそのカラクリをじっくりと紐解いてみようではありませんか。

 

それでは早速、『敗戦』から始まるわが国における『大東亜戦後史』をみていきましょう。

 

アメリカ政府とGHQの戦後日本占領方針の矛盾

 

が国のポツダム宣言受諾(1945年8月14日)により、太平洋戦争での無条件降伏が確定した日本の占領開始早々にアメリカを悩ませたのは、アジアでの勢力拡大が懸念されるソ連の処遇についてです。

 

ヤルタ会談と密約

1945(昭和20)年2月4日から11日まで、クリミア半島ヤルタで米国のルーズベルト大統領、英国のチャーチル首相、ソ連のスターリン首相による連合国3カ国首脳会談が開かれた。

ルーズベルトはソ連による千島列島と南樺太の領有権を認めることを条件に、スターリンに日ソ中立条約を破棄しての対日参戦を促した。

ドイツ降伏後、ソ連が対日参戦することが秘密協定としてまとめられ、ドイツと中・東欧での米ソの利害を調整することで大戦後の国際秩序を規定、東西冷戦幕開けのきっかけにもなった。

(産経新聞用語解説:ヤルタ密約)

 

建前上、敗戦した枢軸国の占領は連合国全体で行なうことになっており、ソ連も日本の占領政策を仕切る極東委員会に代表を送っていました。

 

ソ連は日本の占領に関して当然積極的に関与しようとしたのですが、これがアメリカにとってはまさに目の上のコブ。

 

アメリカ主導で極東委員会から露骨にソ連を締め出してしまうことは、同時にソ連が仕切る東欧諸国の占領に対してアメリカも口出し出来なくなることにもなるため、アメリカ政府は知恵を絞り、

 

『極東委員会では占領に関する大きな方向性を決めるが、膨大で煩雑な実務(=運営事項)は現地司令官ダグラス・マッカーサーに一任する』

 

という話で連合国全体の同意を取り付けることに成功しました。

 

つまり日本占領政策に関する重要なことはすべて「運営事項」にしてしまうことで連合国の同意のもとアメリカの占領政策方針を押し通す地盤を築いたということなのですが、その結果としてアメリカ政府自体もマッカーサーが独断で執り行う占領政策に対して口出しが出来なくなってしまいました。

 

GHQの最高司令官と言えどもアメリカ太平洋陸軍総司令官であるマッカーサーはあくまでアメリカの軍人なのであり、本来アメリカ政府の方針には全面的に従わなければなりません。

 

当然、アメリカ政府の対日占領方針は『日本は軍事的に完全無力化された貧しい小国であるべき』というものでしたが、連合国完全合意の日本占領政策に関する強大な権限を得たマッカーサーは、この機を自分の野心のために最大限活用してアメリカ政府の対日占領方針を無視した『親日的な融和占領政策』を行うことになります。

 

マッカーサーの野心とはすなわち自分自身がアメリカ大統領になることであり、自分の『器』をアメリカ国民に示すためには戦略的に日本占領を成功させる必要があったという訳です。

 

 

マッカーサーの野心がもたらした融和的占領政策

 

GHQ(進駐軍)の占領が『戦中、散々手を焼かせた猿どもを徹底的に叩きのめせ!』とならなかった理由の一つとして、マッカーサーの個人的な信仰上の理由がありました。マッカーサーは軍人である以前に、占領中も毎晩欠かさず聖書を読むほどの熱心なキリスト教徒でもあったのです。

 

『日本占領革命』の著者セオドア・コーエンは、

 

「私は世界を動かす人間であり、世界を動かす人間が人種差別などしていいはずがない」とマッカーサーは常々言っていた。

 

とその著書で述べています。

 

マッカーサーの占領政策方針は信仰に基づく慈愛に満ちたものであったようにも見えますが、当然それが唯一の理由ではありません。

 

先に述べたとおり、マッカーサーにとって「日本占領を成功させること」は自身が大統領になる為の布石だったのです。

 

以下はマッカーサーの名言です。

 

今の世界で共産主義に立ち向かおうとしている二人の偉大なリーダーがいる。

一人はローマ法王である。

そしてもう一人が”私”である。

 

そのナルシズム溢れる人格と野心がもたらしたある意味、暴走した融和的対日占領政策は、米軍の占領に戦々恐々としていた当時の日本人に大いに歓迎される事となったのです。

 

日本国民はマッカーサーとワシントンの占領政策方針に齟齬(そご)が生じている事を知る由もなく、

 

無責任な日本政府に代わって国体(=皇統)を維持して日本国民の面倒をよく見てくれる『マッカーサーの意向=アメリカの寛大さ』と勝手に思い込んでしまった

 

というわけです。

 

日本の戦後を決めてしまったWGIP(War Guilt Information Program)による洗脳

 

ッカーサーの謀略によってGHQの対日占領政策が米国政府の意向を無視した親日的なものになってしまったとは言っても、当然それが戦勝国であるアメリカの国益を損なうようなものであったわけではありません。

 

WGIP ( War Guilt Information Program ) =「大東亜戦争についての罪悪感を日本人に植え付けるための宣伝計画」の一環としてマッカーサーが独自に知恵を働かせたことであるという解釈がより正しいでしょう。

 

WGIPは終戦直前まで日本人に根付いていた「鬼畜米英」といった反米・英感情を、親米・英に転換し、「日本と米英の対立」から、「日本国民と日本軍国主義者の対立」へと、対立構造そのものをズラすのがその目的です。

 

GHQは日本政府とマスコミは言うに及ばず、焚書(ふんしょ)による図書の没収など、学校教育機関をも最大限に活用した巧妙な「間接統治」によって日本国民に対するプロパガンダを展開しました。

 

この洗脳作戦を実行したGHQの機関であるCIEは、戦時用語として『大東亜戦争』という呼称を禁止して日本の軍国主義がもたらした『太平洋戦争』という呼称に変更し、新聞各社には日本政府が侵略戦争を企てたとする『太平洋戦争史』を連載させ、NHKには『真相はかうだ(こうだ)』という番組を放送させたりもしました。

 

国民からすると戦前・戦後で政府の言ってることがまるっきり食い違っているわけで、結果的に東条英機ら戦時の指導者たちに騙されたと思い込みアメリカこそが自分たちを救ったと考えたのです。(あながち間違いでもありませんが。)

 

そしてそれが占領軍から押し付けられたものであるとは気付きようもなく、日本政府や自分たち日本人が築いた思想だと信じていたわけですから、マッカーサーの対日占領方針は日本国民の洗脳に絶大な効果をもたらしたしたということです。

 

本人、ついにマッカーサーの赤子(せきし)となる。

当時一部の日本人の間でマッカーサーは『へそ』という愛称で呼ばれていました。

 

この意味は、

 

天皇が『朕』(ちん)であり、

国民は天皇の赤子(せきし)。

そして『へそ』は位置的に『ちん』の上にあるということ。

 

・・・これわかりますか?

 

私自身が精一杯耐え難きを耐え、忍び難きを忍んだ説明です。

 

_(:3 」∠)_

 

日本国民が日本国政府を否定する『日本的平和主義』

 

後の著しい日本政府の信用の失墜は何もWGIPをメインとしたアメリカの対日占領政策によるものだけではありません。

 

国民との約束を守る気があるのであれば大日本帝国政府は日本全土の制空権を奪われることになるサイパン島陥落の時点で余力を残して武装解除し、白旗を上げるべきでした。

 

本土無差別爆撃、一億総玉砕、神風特攻、沖縄上陸作戦そして広島への原爆投下、ダメ押しのソ連参戦と同時の長崎への原爆投下。

 

日ソ中立条約が実質的に破棄されていたにもかかわらず遅すぎた戦争の終結を急ぐあまり、対日宣戦を控えたソ連に米英への条件付き降伏交渉の仲介を打診してしまうという鈴木貫太郎内閣の大失策と相まって、日本人にとっての戦争の悲劇はサイパン島陥落から終戦までの一年間に集中することとなりました。

 

日本国民は明治の始めから玉音放送で無条件降伏を宣言する天皇陛下のお言葉を聞くその瞬間まで、「お国というものは最後は必ず自分たちの面倒を見てくれるもの」と信じていたからこそ、『欲しがりません勝つまでは』とマスコミのプロパガンダに踊らされた形で愛する家族の出兵を見送り、竹槍を携えてでも無差別爆撃の戦禍に耐えて来たのです。

 

日本政府に暗黙の合意を一方的に破られ絶望した国民の間に、日本政府に成り代わってその責任を引き継いだアメリカの占領政策は絶対的に正しいという認識が広まるのにそう時間はかかりませんでした。

 

『日本が起こした侵略戦争の終結に原爆投下は不可避であって、東京裁判は公正である。』

 

日本国政府の無能さとマッカーサーの野心という奇跡のコラボによって、アメリカが戦争犯罪を隠すための対日占領政策に必死にならずとも、日本国民はこぞって戦前・戦中の富国強兵を否定し、「正義の国アメリカ」が日本に望む貧国無兵こそが日本という国のあり方であるとまんまと信じこまされてしまう事になったのです。

 

 

 

なぜこのような文言の碑をわざわざ被爆地に、それも当の被爆国の国民が建てたのか?

 

これも理解に苦しむような話ではないという事です。

 

明治維新から日本が栄え続けたのは『経世済民』があってこそ

 

世濟民(けいせいさいみん、経世済民)は、中国の古典に登場する語で、文字通りには、「 世 ( よ ) を 經 ( をさ ) め、 民 ( たみ ) を 濟 ( すく ) ふ」の意。

 

つまりは政治・経済の本来の意味です。

 

経世済民が『経済』の語源であるにもかかわらず、今の日本の経済政策には明らかに『ない』概念ですよね。

 

日本の敗戦とアメリカの占領政策によって日本国民が経世済民の王道である富国強兵を否定したからです。

 

そのせいで『富国強兵』や『教育勅語』と聞けば、単に軍国主義のスローガン=即戦争と捉えるのが今時は普通なのです。

 

私も例に漏れず『富国強兵=軍部の暴走』であると思っていました。

 

しかしよくよく学んでみると、元は近代化をめざした明治政府が国の基本政策として提唱したことばであり、「国を富まし、兵を強くす」と読み下すことからもわかるように、唯一日本が欧米列強国の侵略を許さないアジアの覇権国であったのは、この富国強兵政策の賜物だったという事です。

 

如何様にもしてこの鎖国の日本を開いて西洋流の文明に導き、富国強兵を以て、世界中に後れをとらぬようにしたい。

〜福沢諭吉・福翁自伝

 

事力を行使するか否かという話は別にして、いつの世も軍事力が外交に於いて自国の権益と戦略を実現するうえで不可欠であることはアメリカの軍事力にすっかり頼り切って実質的なアメリカの属国となっている我が国の現状を見れば明らかです。

 

日本政府による教育勅語のデタラメな運用によって大東亞戦争で惨敗を期し、これまで経世済民を実現してきた『富国強兵』を国民が信用できなくなってしまったがゆえに「政府に積極財政を許すな」という風潮こそが正しく、自国を守れるだけの戦力を持たず終戦直後から今現在に至るまでアメリカの戦略的な属国に甘んじているのが現在の日本なのです。

 

『国民は政府を信用してはならぬ』と憲法前文、財政法第4条に明記されている

 

本国憲法前文には”政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすること”とあります。

 

つまり「日本政府は勝手に戦争をやらかす悪い政府なので信用してはならず、日本国民が規制しなくてはならない」 という縛りであり、9条の規定はこれが根拠となっています。

 

本来「経世済民」とは、国民が自国の政府を信頼して目指すものです。

 

しかし日本国民は、日本政府を信頼せずに他国がもたらす平和によって他国と対等に繁栄を目指すという無理ゲーを憲法前文で宣言しています。

 

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 

したつもりはないと言いたくなるでしょうが、憲法にそう書いてあるのだからやはり『した』のです。

 

1947年(昭和22年)5月3日、日本国憲法と同時に財政法が施行されています。

 

財政法第4条によって「政府の信用能力を認めるべからず」、よって「建設国債等を例外とする公債の原則的な発行禁止」が明示されており、続く第5条が『日本銀行による公債引き受け』を禁じてこれをさらに補強しています。

 

そもそも第4条に従えば日本銀行による公債引き受けは起こらないはずなのですが、第5条でこれをわざわざ規制するのは、本来いかに政府は公債を発行して当たり前な存在であるのかということです。

 

しかも自国通貨発行権を持つ日本政府(日銀と合わせて統合政府のこと)が財政法第5条の「借入金の借入については、日本銀行からこれを借り入れてはならない」という条文に従うのであれば、「借り入れなければならないときは、わざわざ国外から借りなさい」という意味になります。

 

過去に財政破綻した国は一様に供給能力が足らず自国通貨発行権を持たない国です。

 

外国通貨建ての借り入れこそが財政破綻のリスクそのものである訳ですから、

 

自国通貨発行権を持つ日本政府がこのような縛りに置かれているということ自体、ありえなくらい馬鹿馬鹿しい話なのです。

 

財政法を起草した大蔵省主計局法規課長・平井平治氏は

 

「戦争と公債がいかに密接不離の関係にあるかは、 各国の歴史を紐解くまでもなく、わが国の歴史を見ても公債なくして戦争の計画遂行の不可能であったことを考察すれば明らかである」

 

「従って、本条(財政法第四条)はまた、憲法の戦争放棄の規定を裏書き保証せんとするものとも言いうる

 

と述べています。

 

「言いうる」ではなく、この説明に於いては完全に公債の発行=戦費の捻出でしかなく、政府に公債を発行させないようにする為にわざわざ制定しているのです。

 

つまり公債の発行は必ず戦争の為になされるものであり、戦争以外の目的での公債の発行はあり得ない。

 

だから『平和主義のために国民は貧困に耐えろ』ということです。

 

このように見ていくと大変無茶苦茶な理屈ですが、国民は政府を信用しないのだからこれでいいという事になるんです。

 

日本国憲法と財政法には、日本政府に積極財政をさせない仕掛けがてんこ盛りにされているのがお分かりかと思います。

 

我々日本国民は『平和主義を貫くために、貧困を堪(こら)える』という宣言を憲法前文で高らかに謳い、何も考えず単に『戦争反対』というイデオロギーに支配され続けているからこそ、今になってアメリカのみならずこれを利用する日本人の支配層ばかりか、全世界のグローバリスト達にいいように苦しめられているということなのです。

 

日本の高度経済成長は何故起こったのか?

 

法の縛りで積極財政がままならないはずの日本がなんでアメリカに次ぐ経済大国にまで上り詰めることが可能だったのでしょうか?

 

これもまたアメリカの都合なのです。

 

米ソ冷戦構造によって日本は資本主義陣営へ取り込まれた

 

国共産党と国民党の内戦で蒋介石が台湾へ退いたことで、「中国大陸に親米政権が誕生する」というアメリカ政府の目論見が外れ、ソ連を主体とする共産勢力を極東で牽制する必要が生じました。

 

1948年大統領再選を果たした民主党のトルーマンはもとも犬猿の仲であったマッカーサーを押さえ込んで日本を強くし、日本列島を共産圏と対峙する最前線に作り変える政策に打って出ました。

 

ハリー・S・トルーマン Harry S. Truman

ルーマンはフランクリン・ルーズベルトの死を受けて1945年に副大統領から大統領に昇格したという経緯があり、世間から小物扱いされた劣等感から原爆投下を急ぐことに腐心したとも言われています。大統領選では共和党からに出馬したマッカーサーの敵ではないとさえ言われていましたが、本国には戻らず東京に居たまま出馬したマッカーサーは共和党の予備選ですら勝てないという結果に終わりました。

 

本の対米従属を前提とした復興推進および再軍備容認は、「貧国無兵」から「貧国弱兵」への対日占領政策の方針転換です。

 

これは当初アメリカ政府が目指した占領方針とは異なるマッカーサー独自の占領政策を推し進めるものであり、日本人がマッカーサー=アメリカに抱いた好意的な「勘違い」は結果的にアメリカ政府の思惑により近づいたものとなりましたが、マッカーサーの融和的な対日占領政策に浸りきった日本国民はすでに牙を抜かれた虎。

 

アメリカ政府からすると相当に大盤振る舞いな方針転換であったつもりが、日本国民からすれば『無条件に寛大な占領』から『アメリカ従属を条件とした寛大な占領』への手厳しい変容と、全く逆に映った訳です。

 

日本国憲法前文に書かれている通りにソ連、中国も含めた連合国の立場を脅かそうとしない体制翼賛的な『貧国無兵』こそが真の平和主義と信じ切っていた日本人からすると、アメリカの利益を優先し共産圏と対峙するための再軍備(のちの自衛隊=1950年ポツダム政令による警察予備隊の編成)は混乱するだけで全く筋の通らない迷惑な話でしかなかったのです。

 

メモ

アメリカが牽引する形で平和主義を押し進めて正しい方向で発展しようとするところを、当のアメリカが日本を再び軍国主義へと引き戻そうとしていると日本国民が勘違いしているこの現象のことを、のちに読売新聞のコラムで連載された記事タイトルから取って逆コースと呼びます。

 

この時点で日本から見たアメリカ=連合国という図式が壊れ、これを新たに『米国帝国主義(いわゆる米帝)』と呼んで対米従属反対を謳いつつ日本政府も信用しないという、よくわからないポリシーを掲げる『反米左翼思想』なるものが形成されることとなります。

 

アメリカによる本格的な経済援助と度重なる偶然

 

1946年からの占領地域“救済”のための政府支出資金「GARIOA資金」に加えて1949年からは大幅に増額された占領地域の“経済復興”資金「EROA資金」が給付されました。

 

GARIOA資金(1946-1951)

"Government Appropriation for Relief in Occupied Area"

占領地域救済の為の政府支出資金

EROA資金(1949-1951)

"Economic Rehabilitation in Occupied Area"

占領地域経済復興(資金)

 

終戦直後の日本には様々な復興援助資金が入り、日本政府も民間に資金援助をしているものの、戦時の爆撃によって生産力が著しく低下し壊滅状態となっている日本はかなり悪性のインフレ状態に陥ってしまいます。

 

インフレ=需要>供給能力

 

ポイント

なみにこれを『戦後のハイパーインフレーション』と呼んでいるのをよく目にしますが間違いです。

『ハイパーインフレーション』は強烈な悪性インフレを示す抽象的な用語ではなく、13000パーセントを超えるインフレ率という経済用語としての明確な定義があります。

イパーインフレーションとはフィリップ・ケーガンにより、「インフレ率が毎月50%を超えること」と定義されている。毎月のインフレ率50%が継続すると、一年後には物価がおよそ130倍に上昇することになる。すなわち、インフレ率13000%である。」

三橋貴明:『是清の恋文』(小学館)

計算式 130 * 100(%)

これは1万円の万年筆が1年後には130万円になるということ。

テレビやSNSで「デフレ打開のための積極財政は危険」「日銀に国債を買い取らせると間違いなくハイパーインフレーションが起こる」などと主張する不勉強で平和主義を騙る均衡財政主義者もまだちらほらいますので見かけたら鼻で笑ってやってください。

 

のままでは日本占領政策上のアメリカの負担が大きく膨らむ一方である為、アメリカ政府は1949年にGHQの頭越しに日本政府に対して経済安定化指令を出し、日本に経済特使としてジョセフ・ドッジを送り込みます。

 

Joseph Dodge:デトロイト銀行頭取、政治家。

1945年から1948年まで連合国軍政下のドイツで金融政策顧問を務めたのち、1949年にトルーマン大統領の特使として来日。

 

ッジは政府支出から公共事業費を半減させ、鉄道料金や郵便料金の大幅引き上げるなどの『ドッジ・ライン』と銘打った超強力な緊縮策を講じ、たった一年の間に日本の財政黒字化を達成しました。

 

緊縮財政とは、インフレを抑制して需要と供給能力を等しくする、

またはデフレ(=需要<供給能力)にする

 

しかし強引な財政政策であるドッジ・ラインは同時に官民間あわせて55万人の失業者を発生させることとなり、 国鉄三大事件などの激しい労働紛争を誘発しました。

 

様々な社会不安から9月革命(1949年に日本に共産革命が起きる)が噂されるほどまでになり、いよいよ貧国弱兵路線の限界に到達した頃、1950年6月、朝鮮戦争が勃発して状況が急転することとなります。

 

韓国軍を支援するアメリカ軍の物資供給源として日本に巨大な需要が発生し、極めて深刻だったドッジ・ラインによる不況が一瞬にして吹き飛んでしまいます。

 

朝鮮戦争勃発によって「財政黒字化」「インフレ抑制」「経済活性化」がほぼ同時に達成されるという、『ありえない』事態になったのですから、日本にとってこれはまさに奇跡としか言いようがありません。

メモ

これがプライマリーバランス(財政均衡の実現)=緊縮財政下であっても経済成長が起こるという強力な前例となってしまい、昨今言われる、20余年のも間全く経済成長しない日本にとって必要なものは戦争であるという短絡的な発想がまんざらでもないとされる由縁です。

 

この様にまたもやアメリカ都合で日本の国民生活が一気に好転してしまったのですから、この偶然はまたしても日本国民のナショナリズム否定と財政均衡主義を強化してしまうのです。

 

そしてこの奇跡のドッジ・ライン+朝鮮特需を足がかりに、日本はいよいよ飛躍的な経済成長を果たすようになっていきます。

 

日本国憲法を恣意的に解釈した吉田ドクトリン

 

鮮特需によって日本側の対米認識も若干ながら変化し、日本政府は対米従属を戦略的に考えるようになりました。

 

アメリカに従属すれば、復興・発展を遂げることができる。しかし従属し、依存すれば戦争に巻き込まれる。

 

であるならば、建前上はアメリカに押し付けられた平和主義を理由に「牽制」しながらの「対米従属路線」です。

 

朝鮮戦争で日本の独立を早めるべきとする方針に傾き始めたアメリカ政府は1951年1月、ダレス国務長官を通じて吉田首相に憲法改正を要請しましたが、これに対し吉田茂は「日本の安全保障はこれをアメリカに防衛してもらい、日本は経済復興に注力する」という国家戦略、吉田ドクトリンとのちに呼ばれることになる戦後日本の基本方針を打ち出します。

 

吉田ドクトリンは池田勇人、佐藤栄作、大平正芳、宮澤喜一といった反ナショナリズム緊縮路線を推し進める歴代首相が継承しました。

 

吉田茂(よしだ しげる)

1878年(明治11年)9月22日 - 1967年(昭和42年)10月20日

内閣総理大臣歴 吉田内閣 在職日数
第45代 第1次 昭和21年5月22日~昭和22年5月24日 368日
第48代 第2次 昭和23年10月15日~昭和24年2月16日 125日
第49代 第3次 昭和24年2月16日~昭和27年10月30日 1353日
第50代 第4次 昭和27年10月30日~昭和28年5月21日 204日
第51代 第5次 昭和28年5月21日~昭和29年12月10日 569日

首相官邸HPより

 

本国憲法の「世界は一家。人類はみな兄弟。」な前提を全面的にアメリカに突きつけるでなく、日本国憲法を柔軟性を持って都合よく解釈しようということですから既にこの時点で憲法を形骸化させる相当に無茶苦茶な戦略なわけですが、当時の日本政府はこれをうまく高度経済成長にも繋げてしまいます。

 

吉田ドクトリンはアメリカを日本の国際的後見人とした富国弱兵国家戦略

 

東亜戦争において枢軸国の中で最後まで降伏せず、挙句ボロ負けした日本には国際的な信用もなかったわけですから、国際的地位を得る第一歩としてアメリカによる信用の保証が不可欠でした。

 

1952年まで続いた占領も終わり、1953年インドに次ぐ世界第2位の大貧国とみなされていた日本はアメリカの後押しによって世界銀行から8億6000万ドル(現在の価値で6兆円)の融資を受け、

 

それを元手に東海道新幹線や東名高速道路、黒四ダム、愛知用水といった高度経済成長を象徴する主要なインフラ整備を行いました。(この世銀長期ローンは90年7月になってようやく完済。)

 

総額18億ドル(外務省資料によると現在の価値で12兆円に相当)になるGARIOA、EROA資金のうち4.9億ドル(同2.5兆円)についてはアメリカに後から有償で貸付けとされ、年利2.5%で1977年を期限に返済することになっていたところを、日本国政府は1973年までに前倒して完済しています。

 

外務省公開資料

https://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/shiryo/hakusyo/pdfs/2004_g6.pdf

 

日本国憲法9条「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と定めた条文を盾にアメリカから再三の要求のあった軍事費の拡大を拒み続け、

 

公共投資、技術革新、貿易で1968年には工業大国である西ドイツを追い越してアメリカに次ぐ世界有数の経済大国にまで成長することができたのです。

 

もうお分かりでしょうがここで言いたいのは『日本スゲー』ではなく、日本の驚異的な経済発展は外貨(=米ドル)での借金によって成し遂げられたということです。

 

つまり

 

現財務省によって均衡財政期と呼ばれている高度経済成長期は、外貨建ての借金を元手にした積極財政の賜物であったということです。

 

当時日本政府は財政法に従い国債発行をしていないため、当然一般会計での財政は均衡しています。

 

特別会計に隠されている外貨建ての借金で積極財政しているのですから、表面的には財政が均衡していても経済成長して当たり前なのです。

 

しかも外務省公開資料で米ドル建ての巨額の借り入れは『全額返済済み』となっているのですから、当面問題となる国の借金なるものは現実として存在しません。

 

今現在、ちまたで叫ばれている『国の借金』という呼び方がそもそも間違っていて、実際は明治時代から積み上がっている国債発行による『政府の負債』なのであり、通貨発行権を持つ政府の自国通貨建ての負債は、その負債が国内において消費される限りは返済せずとも延々とその額が膨らんでいくだけの話で、財政破綻はあり得ません。

 

これは『国の借金国民一人当たり800万円超』というレトリックを撒き散らす財務省も認めている『純然たる事実』です。

 

財務省:外国格付け会社宛意見書要旨『自国通貨建て国債のデフォルトは考えられない』

 

さらには実際に財政破綻したギリシャの政府債務残高対GDP比183.5%を大きく超えてなんと対GDP比235%(IMF2016年統計資料)にまで膨らませることが出来る日本に財政破綻の兆しすら見えないという事実が示す通り、

 

財務省は『日本円の通貨発行権を持つ日本政府が、100%日本円建ての負債について債務不履行となる(=財政破綻)』のロジックを説明することができません。

 

財政法に従えば外国からの借り入れで経済成長するしかありませんが、外貨建ての借り入れは名実ともに『国の借金』ですから、返せなくなれば国が財政破綻するということにもなります。

 

なのに立法機関である国会が国民を少数の富裕層と大部分の貧困層に二分する『財政法』を改正しようともせず、改憲にばかり必死なのです。

 

なぜでしょうか?

 

近代史、特に戦後史を学ぶ機会ごと奪われてしまった日本国民が欺瞞に満ちた『平和主義の罠』にドップリと浸りきってしまった事で、政府が国民のために仕事をしなくても良い状況を作ってしまったからです。

 

日本的平和主義の限界

 

務員は減らせ、だがサービスは落とすな。子供手当て、高校無償化、高速道路無料化などバラマキ政策は無条件で賛成、だが増税は反対。年金未納、でも国は老後の面倒を見るべきだ。給食費未納、だが子供には給食を食べさせろ。

駄々っ子以下のおぞましい民度の国になり下がってしまった。挙句の果てがGDPの約1.5倍、900兆円にも及ぶ借金である。
国家意識だけでなく「公」の意識を喪ったのも「吉田ドクトリン」の深刻な後遺症である。国防より金儲けが優先し、「公」より「個」が何より優先する浅薄な社会に堕落した。

チャンネルNipponより

 

もこのような話を手放しで評価する気はありませんが、うわべだけの平和主義を糾弾しているこのような保守論客の指摘そのものは傾聴に値します。

 

借金云々は財務省のプロパガンダなので論外ですが、ここで述べられている重要なことは、

 

本来、国民が国民のための政治を願うのであれば国を信頼せねばならず、それを拒むのであれば本当に一人だけの力で生きてゆけということです。

 

吉田ドクトリンによる日本の高度経済成長期という奇跡を再現するには、大前提として外貨の借入が必要なわけで、日本はとりあえず戦争するか、発展途上国化するしかありません。

 

それが嫌なら改憲、安保破棄によって対米従属から完全脱却し、国民が富国強兵の価値観を受け入れなければなりません。

 

暗に国民に対して二択を迫る日本政府は平和主義、戦後自虐史観に囚われて続けている国民の意識を変えようとするのではなく活用しているだけのことで、

 

先の引用文にある『甘えからの脱却』という論法で『自己責任論』を蔓延させ、国民の貧困化を正当化しているのです。

 

つまり財務省は平和主義を盾にした吉田ドクトリンの手法を今度はアメリカに対してでなく、国民に対して利用しているにすぎません。

 

政府は日本国憲法に謳われる平和主義を盾にしてこれまでは国民のためにアメリカを騙し、今やアメリカと一部への利益誘導のために

 

『グローバリズム』、『国の借金』という、平和主義ありきのマヤカシで国民を騙して日本を貧国弱兵国家に戻そうとしているだけなのです。

 

戦後財政構造のまとめ

 

アメリカ占領政策による

貧国無兵路線

アメリカ占領政策による

貧国弱兵路線

吉田ドクトリンによる

富国弱兵路線

『日米同盟』という名の対米従属強化による

貧国弱兵路線

 

思考停止状態こそが『将来世代へのツケの先送り』となる

 

1965年(昭和40年度)の補正予算で、赤字国債の発行を1年限りで認めるとする特例公債法が制定され、財政法4条を一時的に無効化した赤字国債が戦後初めて発行されました。

 

1975年(昭和50年度)以降は、ほぼ毎年度特例法の制定と赤字国債の発行が繰り返されており、

 

自国通貨発行権を持つ日本政府が最終的にどうこうする必要のない、言い換えるとただその金額が膨らみ続けることに何の不都合もないこの「政府負債」のことを

 

「国民一人当たり850万円の国の借金」と呼び、

 

「将来世代へのツケの先送りだ」といい、

 

増税、緊縮財政、構造改革を正当化しています。

 

20年以上に及ぶ緊縮財政によって今や死に体の民間経済を活性化させ日本が経済成長するには財政法、または財務省設置法の改正をすればよく、

 

それが無理と言うなら特例公債を妨げる『プライマリーバランス黒字化目標の破棄』を閣議決定すればいいだけの話でしかないのです。

 

日本国憲法に則って政府が国民のために仕事をしさえすれば、わざわざ改憲せずとも赤字国債を発行した積極財政は可能なのです。

 

そして政府に仕事をさせるには、まずは国民が主権者であるという自覚をし、

 

日本特有の平和主義がいかに欺瞞に満ちたものであり、それに国民がいかに勝手に縛られているのかを知らなくてはなりません。

 

日本国憲法前文にはこう書いてあります。

 

『そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。』

 

政府は『国民』の範囲を限定することで、『わがままな平和ボケした連中のための仕事はしなくていい』と決め込んでいるということなのです。

 

だからこそ今持ち上がっている改憲議論は戦前回帰=富国強兵という経世済民の理念に則ったものでなく、

 

単に対米従属を強化し、支配層だけが生き残るための原則を強化する思惑が働いているものであるということを知って頂きたいのです。

 

自民党の草案をよく読んでみて下さい。

 

改憲の『本丸』は自衛隊を合憲にするとか表面的なものではなく、もっと別のところにあります。

 

矛盾だらけの平和主義を都合よくツギハギして福利を享受してきた国民が、同じ手で今度は支配層にうまく利用されようとする番なのです。

 

それを国民に知られたくはない、考えて欲しくはないからこそ政府やマスコミは平和主義を盾にした筋の通らない日本の財政破綻論を声高に叫び続けているのです。

 

ここまで読んで頂けているのであればもうお分かりでしょうが、

 

私が言いたいのは『日本は改憲によって平和主義を捨てて富国強兵を目指すべきである』という話ではなく、

 

このカラクリ、つまりは見せかけの平和主義に国民が気付かないまま苦し紛れに改憲議論を推し進めること自体が支配層の思惑にまんまと乗せられてしまうことであり、非常に危険だということです。

 

あなたは

 

この国には富国強兵を前提とした経世済民の美学はもうないのに、わざわざ憲法改正して自分の子や孫を支配層を守るためだけの戦争に巻き込みたいと思いますか?

 

もしくはナショナリズムを全否定して、たとえ食うや食わずであっても自分が生きてる間さえ平穏無事であればそれでいいと思いますか?

 

これまで述べてきたように、自分たちの首を締めている日本の均衡財政主義を支持しているものが無知ゆえの欺瞞に満ちた平和主義であることは歴史を紐解けば明白です。

 

加えて国民の暮らしは大変、でも選挙には行かない、不安から他人の行動に批判的になってまんまと分断され続けているのではもうどうしようもありません。

 

現状を見てください。

 

世界随一の震災大国である日本で、台風ごときで老朽化した送電線の鉄塔は折れて堤防決壊で河川は氾濫し、家屋は全半壊で死者多数。

 

道路は寸断され被害調査をする職員の数が足りず電話も繋がらなければ携帯電話基地局もダウン。

 

人命救助する自衛官も倒木を排除する土建屋さんも人手不足です。

 

平時に自然災害を想定した防災公共事業を無駄といい、公務員を減らし十分対策をしてこなかった結果であり、今の日本はもはや発展途上国の様相です。

 

「国民のための政治は間違っている」と公言する国会議員が大臣を務める国です。

 

『自分の身は自分で守れ』と政府が言うのであれば、たとえ戦争が始まっても同じことを言うのです。

 

『戦争はイヤだー』以上のことは何も考えずに一部に利益誘導するための財政均衡主義を受け入れ続ける事、そのものが私たち自身の首を絞め、加えて『将来世代へのツケの先送り』となる事を理解しなくてはなりません。

 

『国など要らぬ』と言うのであれば別ですが、子孫に素晴らしい日本を残したいのであれば、まず自分自身が変わらなくてはなりません。

 

私は『知らない』こと自体を悪いとは思いません。

 

知る機会に出くわしたのなら知ればいいだけのことです。

 

物事には必ず「背景や理由」というものがあり、それを知ろうとする態度こそが、なんとも知れない不安から脱却して未来を見据えて生きていくことに必要だと私は思っています。

 

まーた長くなってしまってすみません。

 

お読みくださってありがとうございます。

 

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